2025年5月16日

手書きの可能性を広げる。ゼブラが挑んだ “デジタル×アナログ” 融合の新技術「kaku lab.(カクラボ)」

デジタルとアナログを融合し、手書きの可能性を広げる —— 。壮大なビジョンをもとに、老舗筆記具メーカーのゼブラ株式会社は、2025年2月、デジタル空間に描くことができる「kaku lab.(カクラボ)」を発表しました。本記事では、開発を率いる岩間卓吾氏に、開発の経緯や実現までの苦労、そしてkaku lab.を通じて見据えている未来について伺います。


デジタルとアナログを融合し、手書きの可能性を広げる ——

壮大なビジョンをもとに、2025年2月、老舗筆記具メーカーのゼブラ株式会社は、デジタル空間に描くことができる「kaku lab.(カクラボ)」を発表しました。

紙に描けるペンとしての機能と、XRなどの仮想空間に描く機能を兼ね備えている「kaku lab.」 は、教育やデザイン、建築、エンターテインメントなど、さまざまな業界で活用できる技術として期待されています。スマホやタブレットが普及し、かつてよりも手書きの機会が減っている時代において、改めて “手書きの価値” を追求するゼブラの狙いとは?

本記事ではkaku lab.の開発を率いる新規研究開発室 室長の岩間卓吾氏に、開発のきっかけや技術の実現までの苦労、そしてkaku lab.を通じて見据えている未来について、デモを交えながらお話を伺いました。

手書きの価値をアップデートしながら、アナログとデジタルの垣根を軽やかに飛び越えていく ーー ゼブラの挑戦をお届けします。

岩間卓吾(いわま・たくご)氏|ゼブラ株式会社 新規研究開発室 室長
2006年ゼブラ株式会社入社。研究部にて基礎研究に従事。2016年から手書きの価値を高める研究を始め、デジタルを含め従来自社にない技術の研究を続ける。

「手書きの価値を追求する」研究がすべての始まり

本日はよろしくお願いします!
2025年2月に発表された、紙にもXR空間にも書ける新技術「kaku lab.」が話題ですね。まずは本プロジェクトの始まりについて教えてください。
はい。kaku lab. は、もともと弊社で2016年頃から継続的に行っていた ”手書きの価値を追求する” 研究からスタートしたものなんです。実は私は、長年脳科学などの学術的な視点から “手書きの有効性” を解き明かす、研究の担当だったんですね。
手書きの有効性、ですか。
はい。例えば、試験勉強するときにただ単語を眺めて覚えるよりも、ノートに手書きした方が記憶に定着するような感覚があったりしますよね。そういった手書きと記憶力との関係性について調べたり、あるいは手で書くこととストレス解消の作用について研究したり……。

そうやって、手書きの価値とはなにか? を突き詰めていく中で、もしかすると筆記具そのものだけではなく、人間が「手で書く」という動作や行為自体に、なにか価値の源泉があるのではないか? という仮説に行き着きました。
なるほど! いきなり「こういう筆記具を作ろう!」と始まったのではなく、より根底にある価値を研究するところから始まったプロジェクトなんですね。
そうなんです。そして、この研究を深めるためにも「手を動かしたり書いたりする動作を、デジタルで可視化する必要がある」という考えに行き着きました。ということで作ったのが、ペンの中に手書きの動きを感知するセンサーを仕込んだ「T-Pen」という筆記具だったんです。

世の中の電子ペンはデジタルかアナログか、そのどちらかに偏っています。
例えば、よくあるタブレットのスタイラスペンは、紙のノートには書けないですよね。ところがゼブラの場合は「手書きを拡張する」というのが狙いでしたから、ただのスマートデバイスではなく、筆記具としての機能は絶対条件です。普通の紙に書けるのはもちろん、書き心地にもしっかりこだわっています。

本当だ! 使い心地としては、普通に書きやすいペンという感じです。重さも感じないし、センサーが入っていることは言われないとわからないですね。本当に、この中にセンサーが入ってるんですか……?
はい、ちゃんと入ってますよ。ペンの動きを高精度に検出するための「9軸センサー」が使われています。

具体的には、ペンがどの方向に動いているか(X軸・Y軸・Z軸の加速度)を検知する「加速度センサー」、ペンがどの角度で回転しているか(回転運動)を検知する「ジャイロセンサー」、ペンの向き(方位)を検知、空間内での“向き”の基準になる「地磁気センサー(磁力計)」。さらに、書いているときの圧力(筆圧)を測る圧力センサーが入っています。
この小さなペンの中に、そんなにたくさんのセンサーが!?
実際に開発する上で、技術的に最も難しいポイントってどこだったのでしょうか?
プロダクトの面でお話しすると、やはり「小型化」ですね。
実は筆記具って、シンプルに見えて内部の構造がすごく複雑なんです。例えばノックして芯を出して、もう一度押すと芯が戻るみたいなことも、様々な部品を組み合わせて実現しています。小さなペンという限られたスペースの中で、こうした機構とセンサーを両立するのはすごく苦労しました。

センサーの基盤がこうなるなら、機構はこう、逆に機構がこうなるなら、センサーの基盤はこうしないと入らないよね、とかーー。

弊社はアナログの筆記具メーカーなので、自社でデジタル技術の開発を行うことが初めてでした。なので、デジタルの部分は外部の企業に協力を求めつつ、デジタルとアナログの両面からすり合わせていった感じですね。小型化というのは思った以上に難易度が高く、技術的に最も試行錯誤した部分でもあります。

紙に書く道具としての完成度を追求しつつ、デジタルの要素を盛り込むことが重要だったのですね。
そうなんです。なので、最初は基盤ボードをペンに貼り付けて動かすところからスタートしました。一番初めのプロトタイプは、今のペンのひと回りは大きかったですね。

T-Penの試作品。一番右が初期のものでだんだん小型化し、発表時のものは一番左

実際、すでにVR空間上にリモコンなどを通じて描くことができるアプリやサービスはありますよね。御社の場合は「筆記具であること」にこだわるわけですが、筆記具だからこその良いことや特徴って、何があるんでしょうか?
ノートに手書きで書いたものと、仮想空間に書いたものが融合するというのは、シームレスに行き来ができるということです。ノートから飛び出すように仮想空間に描くことができれば、描く人の創造性を途切れさせません。手書きの延長からデジタル、デジタルから手書きへと自由に行き来できることも、筆記具ならではの特徴かなと思います。

手書きのデジタル化から「空間に書く」へ

T-Penを通じて、まずは「手書きの情報をデジタル化する」という技術に注目されたとのことですが、「空間に書く」ということに行き着いたのはもう少しあとのお話なんでしょうか。
はい。センサーを内蔵した「T-Pen」を作ったあと、さらに別の技術を組み合わせることで、価値の方向性がもっと広がるんじゃないかというアイデアが出てきました。

そこで着目したのが、仮想現実(VR)や拡張現実(AR)に文字や絵を書くことができる「XR」関連の技術です。現実とデジタルの世界をリアルタイムで融合させて、仮想空間での筆記を可視化するMR(複合現実)ヘッドセット向けの開発フレームワークとして「kaku XR」を開発しました
”デジタルとアナログの融合” を、文字通り実現させたんですね。
空間に書くというのは、具体的にどういった価値があると考えられていますか?
仮想空間に書くことは、空間認知能力のサポートができる可能性があります。通常の紙とペンでは2次元の平面しか描けませんが、仮想空間であれば3次元として、奥行きまで書くことができます。

例えば、小学校の授業で、立方体の「展開図」を学びますよね。これって意外とつまずきのポイントだったりするんですが、仮想空間の中で立体物を書きながら学ぶことができたら新しい学習体験になり得ます。

他にも、月の満ち欠けなんかも、空間に立体の月を書いて、その周りを自分が歩いてみて、見る角度が変わるとどんなふうに見え方が変わるか? だったりーー。仮想空間に書くことを活かして、既存の学習もアップデートされるかもしれません。
なるほど! 立方体の展開図、頭の中だけでイメージするのが難しくて、すごく苦手だったなあと思い出しました(笑)。

昔は紙とペンが当たり前でしたが、私たちの研究がスタートしたのは、ちょうど「デジタル教科書」や「タブレットでタイピング」が当たり前になってきた時期でもありました。紙ではない教育媒体が一般的になる時代において、手書きの価値を伝えていくこと、その文化を継承していくことは私たちだからこそできることです

もちろん教育以外にも、デザイン、建築、エンターテインメントなどの分野とも、相性が良いと思っています。アイデアを形にしていく中で、手書きと仮想空間を組み合わせることで、自分が書いたものから創造をより広げられる、という価値があると思います。

ゲームの中で、自分でなにかアイテムを手書きして、それが仮想空間上で動かせるものとして生成できて、自分で使えるような未来が来たら面白くないですか? アナログな筆記具と最先端の技術を組み合わせることで得られる相乗効果で、新しい手書きの未来をつくっていけたらと思っています

新しい手書きの未来! 素敵ですね。ちなみに「kaku lab.」には、生成AI技術も活用されていると聞きましたが、これはどういうものなんでしょうか?
XR上で手書きしたものに対して、具体的なイメージとして色を付けたり、清書したりするところを生成AIがサポートしています。平面で描いたイラストを、生成AIが立体物にすることも可能です。自分の頭で思い描いたこととリンクさせながら、発想をどんどん広げることをイメージして生成AIの活用を取り入れました。
AIはいま最も急成長しているといっても過言ではないですよね。AIの発展自体が、今後 kaku lab. の可能性の後押しになりそうです。
生成AI 以外にも、ヘッドマウントディスプレイが小型化・軽量化していたり、メガネ型になっていたりという進化もあります。こちらの分野の技術発展にも期待したいですね。

XR空間上に絵が描ける「kaku lab.」を体験してみた!

とはいえ、やっぱり実際に体験してみないことには語れない! ということで、ゼブラが提案する「デジタルとアナログの融合」を体験すべく、まずは岩間さんのレクチャーを受けました。

ヘッドセットを装着してから右手に T-Pen を握ると、空間上にパレットとデータ生成画面が出現します。左手がパレットのようになっていて、まるで本物のパレットを使うように、右手で持った T-Pen をパレットに近づけながら、色を選んだり、ペンの出力を設定したりできます。

早速わたしもkaku lab.を体験! 実際に空間に描いてみました。
少しコツが必要ですが、直感的に操作できるので、前後左右、さらに奥や手前と、360度自由自在に描画することができます。

体を動かしながら奥行きがある絵を描けるのは、まったく新しい体験で面白い〜〜〜!

T-Penを使って空間に簡単なリンゴの絵を描き、仮想空間上のコンピュータに読み込んだあとに「清書」ボタンを押してみます。

すると生成AIが起動し、たった今描いたイラストを「リンゴ」だと認識して、きれいなリンゴのイラストに清書してくれました。走り書きした簡単なリンゴのイラストが、色付きのリアリティのあるリンゴのイラストに早変わり!

さらにこれを「3D化」するボタンがあるのですが、これを押すとさらに別の生成AIが起動し、イラストを3D化してくれます……! 平面のイラストでは描かれなかった背面などもAIによって生成されるわけですが ーー。

田中さん、3D化された、そのリンゴを持ってみてください
え! これ、持てるんですか……?(半信半疑)

おお〜〜 スゴイ!!!! 持てた!!
これ、思った以上にテンションが上がりますね!(笑)今までなかったモノを自分の手で目の前に作り出すって、不思議。なんだか魔法使いになった気分です。

もちろんXR空間なので、360度、奥行きも含めた3次元の描画が可能です。さらにこの絵はどの角度から見ても、この空間に存在していることになります。自分が絵の周りをまわってみたり、違う角度から眺めてみることもできますよ。

あと、先ほどゲームの事例がありましたが、例えば、こんなふうに剣を描いてみて、それを持ってみたりもできます。ゲームの中で自分で道具をクリエイトする楽しみって、こういうことですよね。

楽しい! 驚きが止まらない〜〜!
ペンの操作性はこれからもっとブラッシュアップしていく予定です。なめらかな線をさらに描きやすくしたり、今後もより使い心地にこだわった開発を進めていきたいですね。

老舗の筆記具メーカーが挑む、ビジネスとしての新たな可能性

いや〜、想像していた以上に楽しくて、ワクワクする時間でした!
こちらの発表を行ったのは2025年2月とのことですが、発表してからの反響はいかがでしたか?

かなりありました。教育やデザイン業界からも実際になにか一緒にできないかという問い合わせも来ましたし、学校などの教育機関から「授業をやってほしい」という依頼もあり、反響の良さに手応えを感じています。社内での反響も大きく、筆記具メーカーである当社の可能性の広がりを示すことができたと思っています

最初にお話ししたとおり、私はもともと研究者で、人間工学や脳科学などをベースとした研究に携わっていたので、実際の研究内容をこうしたプロダクトにまで繋げられたことはとても嬉しかったです。会社の経営層が、こうした研究を根気強く、支援してくれたことも大きいですね。
会見に参加した記者さんの記事を見ましたが、そもそも「製品」ではなく「技術」を発表した場でもありますよね。ああいった発表をメディア向けにするというのは珍しいような気がしました。
そうですよね。実は当社としても、ああいった形で研究した技術を外部向けに発表するのは初めてでした。T-Penの製品販売はまだこれからなので……。

でもあのタイミングで発表することで、さまざまな業界からの注目が集まり、新たな可能性も見いだせたように感じています。

あの会見は、ゼブラからの “問い” 。こんなの作ってみたけどどう? みんなでなにかを変えていかない? という気概を感じました。ビジネスとしての可能性はどうでしょうか?
これまでゼブラでは「筆記具を売る」というビジネスを展開していましたが、ここから先の未来は「kaku lab.」と共に「サービス」の要素が加わっていくのかなと思います。世の中に対してサービスを売る、ことで、これまで以上に「カク」の提供できる価値を広げて、より社会に貢献していきたいですね。もちろんビジネスとしても大きなチャンスだと思っています。
T-Pen の ”T”は Transform(変革)。機能はもちろんのこと、これからのビジネスの変革も楽しみですね。
ありがとうございます。私自身、日々研究しながら実感していることは、”手で書くこと” は、人が創造を始める原点だということです。大人も子どもも、なにかしら創造するときは「書く」から始まる。

つまり、手書きを拡張するということは、創造性そのものを拡張するということなんです

IT化が進んで、手書きの機会自体が減っているのは確かです。それでも、私たちは手書きの良さをまだまだ伝えられる。今までの使い方だけではないプラスアルファをのせることで、デジタルとアナログが ”敵対” するのではなく、それぞれの良いところを合わせていくことができればな、と思っています。

あとは「kaku lab.」で新たな付加価値を一緒に創造するビジネスパートナーを見つけていきたいですね。少しでも興味を持っていただけたら、ぜひ気軽に相談してもらいたいです。
良いお話だなあ……(しみじみ)。
筆記具メーカーの可能性、ひいては、手書きの価値や可能性を感じる面白い取材でした。貴重な話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました!

関連リンク

・ゼブラ株式会社 https://www.zebra.co.jp/

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この記事を書いた人
田中 伶 アステリア株式会社 コミュニケーション本部・メディアプランナー。 教育系のスタートアップでPRや法人向けの新規事業立ち上げを経験。話題のビジネス書や経営学書を初心者向けにやさしく紹介するオンラインサロンを約5年運営するなど、難しいことをやわらかく、平たく解説するのが得意。台湾情報ウェブメディア編集長も務める。