2024年12月18日

膨大な利用データ活用に期待大。デジタル給与払い×Web3で考える新たなビジネスの可能性

2023年4月の労働基準法施行規則の一部改正によって解禁された「給与のデジタル払い」。制度改正の経緯に詳しい森・濱田松本法律事務所の堀天子弁護士と、Web3に詳しいN.Avenue株式会社の神本侑季CEOに対談していただき、制度改正の背景や、給与のデジタル払いで広がる新たなビジネスの可能性についてお話しいただきました。

膨大な利用データ活用に期待大。デジタル給与払い×Web3で考える新たなビジネスの可能性

企業が銀行口座を介さず、スマートフォン決済アプリやキャッシュレス口座経由でも給料を支払うことができる「デジタル給与払い」が2023年4月労働基準法施行規則の一部改正によって解禁されました。2024年8月には、PayPayが厚生労働省から初めて資金移動業者として事業指定を受け、ソフトバンクグループなど一部企業で運用が開始。また2024年12月には、株式会社リクルートMUFGビジネスも事業指定を受けています。

参考. 資金移動業者の口座への賃金支払(賃金のデジタル払い)について(厚生労働省)
そこで、今回は「デジタル給与」をテーマに、制度改正の経緯に詳しい森・濱田松本法律事務所の堀天子弁護士と、Web3に詳しいN.Avenue株式会社の神本侑季CEOに対談していただき、制度の導入で企業や労働者にとってどのようなメリット・デメリットがあるのか、またデジタル給与払いで広がる新たなビジネスの可能性についてお話しいただきました。

お話を伺ったのは……

堀天子(ほり・たかね)先生
堀天子(ほり・たかね)先生|森・濱田松本法律事務所 パートナー弁護士
2008年より金融庁に出向し資金決済法の立案や行政実務に携わった経験を生かし、決済事業者、電子マネー発行者、資金移動業者、暗号資産交換業者等へのアドバイス及び金融検査対応に専門的に取り組み、金融機関や事業者のFintechサービスのローンチに向けたアドバイスやスタートアップの法務支援を行う。また、規制改革推進会議委員や金融審議会専門委員に就任し、法改正・環境整備に向けた活動を行っている。

神本侑季(かみもと・ゆき)氏
<聞き手>
神本侑季(かみもと・ゆき)氏|N.Avenue/CoinDesk JAPAN 代表取締役CEO

2013年にヤフー株式会社に入社。 メディア・広告の事業開発に従事した後、イスラエル企業と共に事業立ち上げを経験。 2018年、ヤフー傘下でWeb3情報サービスを運営するN.Avenue株式会社を設立し代表取締役社長に就任。その後同社資本を独立させ、世界最大のWeb3メディアCoinDeskの公式日本版や国内最大の法人会員制Web3ビジネスコミュニティN.Avenue clubを運営。 また、一般社団法人ブロックチェーン推進協会(BCCC)の理事、Japan Blockchain Weekのオーガナイザーを務める。

なお、本インタビューは動画でのダイジェスト版も公開されています。興味のある方はぜひこちらもあわせてご覧くださいね!

「給料袋にいれて手渡し」から時代に合わせて進化してきた

本日は宜しくお願いします。そもそものお話からなんですが、デジタル給与払いって、いつ頃から議論が始まっていたのでしょうか。
デジタル給与に関しては、元々フィンテックが話題になり始めた2015年ごろから事業者側の要望としては話が出ていたのですが、具体的に検討が動き始めたのは2017年ごろからです。国家戦略特区の規制改革提案の中で、外国人労働者へのペイロールカードを認めてほしいという要望を受けて議論が始まりました。

元々給与というのは、古くから現金払いが原則でした。それが昭和の時代に銀行口座への振り込みが一般的になり、平成の時代には証券口座にも払えるようになったりと、徐々に進化してきたんです。

確かに外国人労働者は、入国してすぐは日本に銀行口座もないでしょうし、給与の支払いは直接的な課題ですね。
そうなんです。当初は特区という地域限定の枠組みでの検討でしたが、2018年ごろから、厚生労働省が主体となって、全国一律に認めるべきかの議論が始まりました。
PayPay以外には、どんな手段で給与の支払いができるようになったのでしょうか?
メルペイやd払いなどいわゆるスマホ決済も1つの類型ですし、カード残高の形で給与を引き出したり、決済に利用したりすることができるペイロールカードでも支払いが可能になります。米国などでは、小切手の代わりにペイロールカードが普及していましたが、日本では今までこうしたカードの発行は行われていませんでした。

かつては出納係が給料袋に入れてお金を用意する、という時代もありましたよね。その後、銀行振り込みが可能になり便利になりましたが、給料日にお金を引き出すためにATMや窓口に並ぶ人も出てきました。わざわざ銀行口座から引き出してキャッシュレス口座に入金するくらいなら、最初からキャッシュレス口座で受け取れてもいいのではないかと思います。
確かに。法律が時代に追いついてきたんですね。

入金後すぐ使えるメリットがある一方、企業は手続きの煩雑化も……

デジタル給与払いは、事業者側や賃金の受け取り手側にとって、どのようなメリットがあるのでしょうか。
いくつか挙げられます。例えば、兼業や副業をしている人で本業と異なる給与の受取口座をたくさん作るよりも、まとめて受け取りたいときなどには便利です。少額の報酬を受け取るのに、銀行口座で受け取るよりもPayPayで受け取りたい、というニーズはあると思います。
確かに日頃から使っている決済手段で受け取ることができれば、わざわざお金をチャージしたり、移動させたりする手間は省けますよね。
そのとおり。労働者にとっては、デジタル口座に着金すればすぐに使えるということが一番のメリットです。銀行口座から移し替える必要がないので、働いた分でそのまま買い物ができたり、送金ができたりします。

選択肢が増えるのはいいですね。企業は労働者に選択肢を示し、労働者側は好きな受け取り方を選べるようになるのでしょうか?
そうです。制度に同意した労働者のみ利用できます。また、同意する際も、全額キャッシュレス口座で受け取るのか、一部だけキャッシュレス口座に移すのか、といった割合を指定することもできるようになりました。
いいですね! ただ、企業にとっては、手続きがかなり煩雑になりそうな……。
そうなんです。企業にとっては、今まで一つの口座に振り込めばよかったのが、何か所かに振り分けるとなると、手数料の問題もありますし、事務作業の負担が増えるという声もありました。

これに対し、資金移動業者がテクノロジーを駆使して煩雑さを解消しようという動きもあります。給与計算、給与額の確定から給与の振り込みまで一気通貫でデジタル化できると振り込みやすさにつながると思います。あとは、企業にとっては、人材確保の観点からもメリットが期待されています。例えばフリーランスや、日雇い、アルバイトの人たちにとって、給与がすぐに受け取れる仕事先は選ばれやすい傾向があります。

それは面白いですね。ただ、労働者側にとっては、決済の選択肢が増えすぎて、どの口座にいくらお金があるのかわからなくなる、ということもありそうです。
そうなんですよね。ただ、このデジタル支払い自体は、本来労働者の金融リテラシー向上の観点からも望ましいと思うんです。
というと?
働き手は、今まで会社から指定された方法で給与を受け取るしかありませんでした。今回の流れをきっかけに、労働者側がどの金額をどの口座に振り分けるのか、どのように使っていきたいのかを、主体的に選べるようになるということは意味のあることだと思います
確かにそうですね! Web3も様々な選択肢がありますが、利用者側のリテラシー向上は必須だと実感しています。

新たなビジネスチャンス? デジタル給与払いのプラットフォーム

企業側には人材確保のメリットがありそうとのことでしたが、資金移動業者周辺では新たなビジネスチャンスの可能性はあるのでしょうか?
プラットフォーマー的な企業にとっては、ビジネスチャンスになるかもしれませんね。資金移動業者にとって、デジタル給与払いを望む企業ごとにAPIを提供していくのは結構大変です。

プラットフォーマーとなる企業が、デジタル給与払いのインフラを用意して、企業側が労働者の要望に応じて、PayPayやd払いなどの振込先を選択肢を選べるようにすれば、資金移動業者はプラットフォーマーにAPIに提供するだけで済みます。

ITベンダーを中心に、デジタル払いのインフラを提供していこう、といった動きもありますので、その点は期待ですね。
面白いですね!
さらに言うと、一度そういったプラットフォームができれば、労働者側の希望に応じて「今月は銀行にいくら、資金移動業者にいくら」とスイッチングをすることができるようになり、間に入った会社が指示通りに振り向ける、といったやり方もあるかもしれません。
いろいろなビジネスの可能性がありますね。今後普及にあたっての課題はどのような点でしょうか。
改正法では、資金移動業者は、「2階建て」方式で規制を受けています。1階部分で資金決済法の管轄省庁である金融庁の規制を、2階部分で労働基準法を管轄する厚生労働省の規制を受けおり、この二重の要件を満たした企業がデジタル給与払いを扱える指定資金移動業者になることができます。

ただ、この2階部分の規制では、厳しい要件が課されています。2024年12月時点では、この指定を受けているのはPayPayとリクルートMUFGビジネスだけですが、もう少しライトな規制になれば、参入できる業者も増えてくるのではないでしょうか。
規制が厳しいんですね。
そうなんです。元々の議論では、デジタル給与払いができるキャッシュレス口座に関して金額の制限はなかったのですが、最終的な改正内容ではデジタル給与払いができるキャッシュレス口座の上限は100万円までと限定されました。基本的にはキャッシュレス口座に入った資金は、長期滞留するのではなく、決済や送金に利用されていくことが前提です。資金移動業者に対し、どこまで加重された要件が必要なのかは今後議論の余地があると思います。

なるほど……。
また、元々は日本に来たばかりの外国人など、銀行口座を開設しづらく、金融サービスにアクセスが難しい方々も包摂するサービスとして提案されました。しかし、実際には、デジタル払いが100万円を超えた場合、溢れた分を受け取るため、また万が一資金移動業者が破綻した場合に備え、保証金を受け取るために、「銀行口座」が必要になっています。

この「銀行口座」は、日本の預金取扱金融機関の口座に限定されているので、そもそも議論の発端となった外国人の方々への不利益が解消されないままになってしまっています。本当にペインがある人たちに提供できる制度にするために、見直しも必要になると思います。
銀行口座に紐づけなくてもキャッシュレス決済自体は利用できますが、デジタル給与を受け取るには、必ず銀行口座を紐づけなくてはならないんですね。

そうなんです。例えば外国人の方については、100万円から溢れた分はATMで受け取るようにしたらいいかもしれませんし、本国の銀行口座に送金してもいいかもしれません。柔軟性があっていいと思うんです。

杓子定規ではなく、真にニーズがある場面にも適用できる制度になるといいと思います。

海外への支払いでメリット大のステーブルコイン。給与として支払えるようになるか

Web3の観点でいえば、最近ではステーブルコインが世界で初めて日本で法制化されたりと、デジタル通貨も動きがあります。
そうですね。ステーブルコインやデジタル通貨で給与が支払えるかという議論もあります。預金債権型のステーブルコインで、預金口座と同じようにステーブルコインのアカウントが評価される場合には給与振込もできることになります。ただ電子決済手段になってくると、給与の支払手段としては、今は認められていません。暗号資産で給料が払えるかという議論があったのと同じように、現物払いが認められる労働協約を踏むなどの特別な手続きがないとできないということになります。

今後ステーブルコインで給与を受け取りたいという労働者がどの程度、出てくるのか。あるいは、中央銀行の通貨であれば受け取りたいという話なのか。ニーズが出てきた段階で、現金払いの原則の例外として認められるか検討が進むのではないでしょうか。

そうですよね。弊社はWeb3の関連の企業なので、業務委託の方が暗号資産やUSDCといったステーブルコインで支払ってほしいといったニーズもあります。
そうですよね。業務委託報酬であれば現状でも認められています。例えば、エンジニアが海外にいる場合、報酬をステーブルコインで支払うことは行われています。

特に国際送金は手数料が高いので、送る方も受け取る方もメリットがありますよね。雇用契約を結んだ人への給与に関しても同様のニーズがあると思います。
確かにグローバルな決済に関しては手数料の話がついて回りますが、この点でWeb3は一定の解を提示していると思うので、将来的に議論されると面白いですね。

ただ、企業からすると、動きについていくのが大変ですよね。労働者のニーズも変化していますし、規制の動きも早いですし……。
そうなんですよ。雇用関係の法律は頻繁に改正されますし、働き方のルールも多様化してきています。加えて賃金の支払い方まで多様化したことで、人事労務担当者の負担増を懸念する声もあります。テクノロジーを用いて、実務担当者の負担も軽減していくようなサービスの提供が必要ですね。
ちなみに企業側としては、労働者の給与の使い道がデータ化されることで、その情報を活用することはできるのでしょうか。
企業と資金移動業者の間で特殊なアレンジメントをしなければ、給与が振り込まれた先の情報は、キャッシュレス決済のデータとして蓄積されています。企業が労働者側の情報を得たいということなら、資金移動業者からフィードバックしてもらい、福利厚生につなげていくことできるかもしれません。ただ、その場合も、第三者提供になりますので、情報提供には、利用者の同意は必ず必要になります。

一方、資金移動業者側には様々なデータが溜まっていくと思います。給与由来で資金が入ってきた場合と、自分でチャージした場合で使い方に変化するのか? 分析は進むかもしれませんね。
ビジネスの広がりとしては大きいですね。
利用者がどれぐらいの所得なのかもわかりますし。

そうなんです。銀行は給与に関するデータは得られても、その先の使い道に関するデータは取りにくいです。今は銀行も、自前でキャッシュレス手段を発行してデータを利活用したいというニーズがあるくらいですので、付加価値のあるデータかと思います。

また、働いたお金をどう使うかというデータは、単に商取引でのマーケティングでの利活用だけではなく、個人の資産管理のための情報として提供されるのが望ましいと思います。夫婦で共有する家計簿系のサービスとも相性が良いと思います。
確かに家計簿管理などは親和性がありそうです。企業の福利厚生も、従業員のニーズを踏まえずに企業が一方的に作りがちですが、個人情報を守ったうえでデータを活用すればより良い提案ができるようになります。より良い福利厚生は、人材確保にもつながりますし、広がりがありそうですよね。
使い方次第なんですよね! 今はまだメリットが見えづらいですが、今後プレイヤーが増え、様々なサービスが作り出されることにより、便利さを実感してもらえれば普及していくと思います。

北國銀行さんが預金をトークン化した取り組みを行っていますが、地域の決済データを街づくりに利活用できるようになる利点もありますよね。全国的にデジタル給与が広がっていけば、同様にデータの利活用の可能性は広がっていくとイメージできました。

最後に、今後の期待感について教えてください。
今回神本さんに興味を持ってもらえたように、いろんな人に関心を持ってもらい、アイディアをどんどん膨らませていただくと、いろいろな可能性が出てくると思います。

労働者にとって賃金というのは生活の糧なので、まずは安全第一でスタートしましたが、制度もこれからどんどんアップデートしていくと思います。それに従って、民間の側でのサービスの創意工夫も進んでいくのではないかと期待しています。
今後が楽しみになりました。ありがとうございました!

編集後記

デジタル給与の解禁から1年半が経ちますが、いまだ導入に関しては慎重な企業が多いのが現状です。理由としては具体的な利用のメリットが見えにくく、安全性の観点から慎重になっている企業が多いという印象です。

そんな中、今回の対談では、企業にとっても人材確保へのメリットがあり、福利厚生などにも生かせる可能性があると分かりました。さらには、デジタル給与のインフラ整備など、様々な新たなビジネスの可能性もあり、今後参入企業が増えることにより、想定を超えたビジネスも生まれる予感がしています。これからの展開に目が離せません!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

◆ 本インタビューの動画でのダイジェスト版はこちら

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この記事を書いた人
in.LIVE 編集部 アステリア株式会社が運営するオウンドメディア「in.LIVE(インライブ)」の編集部です。”人を感じるテクノロジー”をテーマに、最新の技術の裏側を様々な切り口でご紹介します。