2024年12月25日

生成AI向けクラウドサービス「高火力」の開発、国産唯一のガバメントクラウド提供事業者として条件付き認定され躍進中。快進撃を続けるさくらインターネット田中社長の経営論と業界構想に迫る

サーバーサービスを事業の柱に日本のインターネットインフラを支えてきた、さくらインターネット株式会社代表の田中邦裕氏に単独インタビュー。創業時から続く挑戦の数々に込められた起業家としての信念、経営論に組織論、そして国内のクラウド市場への想いまで語っていただきました。聞き手は、アステリア代表の平野洋一郎です。


1996年に産声を上げた、さくらインターネット。以来、サーバーサービスを事業の柱に日本のインターネットインフラを支えてきました。いまもなお最前線を走り続ける同社のこれまでとこれからを代表取締役社長 田中邦裕氏に伺いました。

生成AI向けクラウドサービス「高火力」の開発や、ガバメントクラウドに「さくらのクラウド」が国産企業で初めて条件付きで認定を機に、いっそうの存在感を放つ、さくらインターネット。今回のin.LIVEは同社を率いる田中邦裕社長をお迎えし、創業時から続く挑戦の数々に込められた起業家としての信念、経営論に組織論、そして国内のクラウド市場への想いまで、とくと語っていただきました。聞き手は、アステリア代表 平野洋一郎です。

田中 邦裕(たなか・くにひろ)氏
さくらインターネット株式会社 代表取締役社社長
大阪府出身、沖縄在住。舞鶴高専在学中の18歳の時にさくらインターネットを起業。自らの起業経験やエンジニアというバックグラウンドを生かし、若手起業家やITエンジニアの育成に取り組んでおり、現在は、複数の企業の社外取締役やIPA未踏PMも務める。さらに、業界発展のため、SAJ会長・JAIPA副会長・JDCC理事長・BCCC副代表理事など多数参画。最近は、多拠点生活を実践するなど、自ら積極的に新しい働き方を模索している。

「27歳の上場社長」という輝かしいトロフィーの影にある苦悩

田中社長が学生時代に起業されたのはあまりにも有名な話ですが、改めてお聞きしてもいいですか。
私は18歳で起業しました。自分が運営するサーバーを友だちに貸していたんですが、学校に置いていたので撤去しなければならなくなって。すると、友だちが「お金を払うから使わせてほしい」と言うんで、それなら事業にしなければと個人事業主になったのがきっかけです。

そのうち事業だけじゃなく、組織をつくるのも良さそうだなと思い、高専卒業後は大阪に出て有限会社を立ち上げました。その頃はネットバブルで、どこで知ったのか取材に来られる方や問い合わせが増えてきて、だったら株式会社にせなあかんな、と考えるようになり1999年に法人格を変えました。平野さんの起業はいつでしたっけ?
私は1983年です。熊本大学を辞めて二十歳で先輩と一緒にスタートしました。だから、私は学生起業じゃないんです(笑)。当時はバブル崩壊の時代で、周りからは「こんな不景気に起業してどうするの」って、ずいぶん言われましたね。

学生時代ってまだ親も働いていますから、自分一人食ってければいい。そう考えると気が楽ですよね。ただ私の場合は、卒業と中退はまったく違うと考えていたので、卒業はしたんです。いまもですが、私は失敗を前提に考えることが多いんです。「ビジネスぐらいなら失敗してもええやろ、人生まで持っていかれるくらいなら」という気持ちがありました。
ビジネスでは、失敗したときに致命的なダメージを受けないようにすることが大事ですよね。その点、さくらインターネットさんもクラウドの領域では、海外からの攻勢にだいぶご苦労されたんじゃないですか?
そうですね。アマゾン、グーグル、マイクロソフトが突然ライバルになるって悪夢ですよ(笑)。『アマゾンエフェクト』 って言葉がありますよね。Amazonが進出する領域(市場)では、既存事業が立ち往かなくなるという現象です。その最たるものが書店でしたが、サーバー運営事業者も世界中で悲惨な目に遭っています。

私たちはクラウドサービスを13年、GPUのサービスを8年やっていますが、後者は投資が続かず手じまいしようかというくらい縮小していました。クラウドも、サービスイン早々にトラブルがあって1年弱課金ができませんでしたし、常に失敗続きですね。
でも、会社をたたむとは考えなかった。
そこは起業家ですから。会社の建て直しやトラブルは、どちらかというとやりがいなんです。むしろ、うまくいっているときは何もしなくてもいいので乗り越えるのが難しいんですよね。

私は27歳で上場という4番目に若い経営者の記録を持っているんですが、最速債務超過ランキングでも4位なんです。ただ、債務超過に陥った2007年から2015年の8年間、経費節減を続けていたら利益がだいぶ出てきたので、ちょっとはチャレンジしようとはするんです。だけど、社員も減っているから新しいことができない。かといって、利益と一緒に株価が上がるわけでもない。「これじゃ、会社は伸びんな」と思って、クラウド路線を強化したのが10年前です。

翌年にあたる2016年にブロックチェーンも始めたことで株価はぐんと伸びたんですが、先行的に取り組んでいたGPUクラウドが財務的にきつく、2、3年後には再び財務超過の恐れが出てきました。2019年ごろには、グーグルやアマゾン、マイクロソフトが参入してきたことで構造改革も迫られ、一時期モチベーションが下がってしまいましたね。
田中さんが沖縄に移住したのも、このころでしたよね。
そうです。コロナ禍でもあったのでぼうっと過ごしていました。ただ、時を同じくして、各業界団体から会長や理事長などお役目をいただくことになったんです。すると、自分がビジネスを伸ばしていないことにはみっともないと思うようになり、2021年の終わりごろからは将来成長と将来利益の確保のため、リスクを取って再投資していこうとモチベーション高くやっています。

 起業って100個失敗しても、101個目が成功すればそれで帳消しになるんです。よく成功と失敗の2分岐で考える人がいるんですが、そうじゃない。当たるか外れるかの一発勝負じゃないんですよ。そのためにはモチベーションも、健全な財務体質も必要ですが、それさえあれば必ず成功に向かって挑み続けられると思っています。

再成長をつかんだ二大事業を支える顧客力と思考力

GPUリソースサービス『高火力コンピューティング』は、AIのディープラーニング向けサービスですが、2016年からスタートされていますよね。当時、AIは専門家の領域であり、一般の人はまだ縁遠い時代だったように思います。その中でのスタートですから、だいぶ先進的ですよね。
そう言われると、大々的に始める会社は多くなかったかもしれませんね。ただ、私たちってお客様に常に恵まれているんです。当時、将棋エンジン「Ponanza」のためにGPUを提供したことがきっかけになり、Preferred Networks、ABEJAなど先進的なお客様から同時多発的に契約してくれたんです。需要があるならビジネスとしていけそうだな、と思ったのは背景としてありますね。

GPUの調達先であるエヌビディア社(NVIDIA Corporation)とも、早い時期から関係を築かれていますよね。
そうですね。ディープラーニング用のサーバーを専用で提供できる会社が日本にあまりなかったので、エヌビディア日本代表の大崎さんに相談したのをきっかけに関係がスタートしています。

2023年に共同創業者でCEOのJensen Huang(ジェンスン・フアン)さんが来日され、当時の岸田(文雄)首相との面会の場で、提携していく日本企業として、大手と並列してさくらインターネットが挙げられたことからも特別な関係を築けているのかな、と思います。
もう一つの御社が唯一国産クラウドとして条件付きで認定を受けている「ガバメントクラウド」についても伺いたいのですが、この領域に力を入れるきっかけってなんだったんですか。
もともと2020年ごろ、クラウドを政府に提供する話があったんです。2021年にアマゾンとグーグルが選定された当時、当社は構造改革の最中にあり、再成長のネタとして、ガバメントクラウドを通じたブランド認知による顧客層の拡大を念頭にしていたんです。ただ当時は、「結局、外資しかおらんやないか。もっと水準を下げないと日本の会社は入れない」のような声が大きかったんですよ。

そのなかで当社が、「日本の事業者に合わせて敷居を下げると、クラウドの技術革新が起こらない。相応のハードルを設け、日本の企業が越えようと努力するのがあるべき姿じゃないのか」という見解を示したところ、関係者からは「その通りだ」という声が聞こえ、社内でも「『さくらのクラウド』を応札できる水準に上げていこう」という機運が高まりました。

その後、マイクロソフトとオラクルが追加認定され、再び「日本の事業者、おらんやないかい」の声がすごく高まりました。私たちとしても、あと2、3年はさすがにかかると思っていたんですが、2023年11月に条件付きながら認定をいただくことができました。ですので、4年越しのプロジェクトですね。
まさしく再成長のステップですね。
そうですね。GPUクラウド事業の推進とガバメントクラウドの提供事業者に条件付きで認定を受けたことが、そういう形になりました。さくらインターネットは、ホームページをつくりたい人にサーバーを使っていただくことが、ビジネスのスタートでした。

2005年に上場したときはweb2.0の時代で、MIXIさん、グリーさん、サイバーエージェントさん、はてなさんたちが主要顧客です。彼らが伸びれば、私たちも伸びる。私たちがサーバーに投資しなければ、彼らも伸びることができない。そんな関係性にあって、結果、事業を大きく伸ばしていただきました。

その次はWeb3.0です。ブロックチェーンブームで成長の機会を得ましたし、AIの登場にも助けられました。そして、今回は生成AIとガバメントクラウドが、私たちのトピックです。このように常に何かしらのネタはあるんですよね。間に停滞期はあるものの、それをチャンスとともに打ち壊していくことが、私たちの経営の中核にあると思います。

「経営は余白と多様性」と語る、田中社長の企業観

社員の皆さんにとっても、田中社長の新しいことに挑戦していく姿勢や考えが浸透されていると思うんですが、どのような働きかけをされているんですか。
一つ目は、社風づくりです。2014年には自ら人事部長になって改革も行いました。転職してきた社員からは、「他の会社と比べて自由な人が多い」とは言われますね。企業理念が「『やりたいこと』を『できる』に変える」なので、自発的に動くのもあるし、性善説文化があるのでルールは最低限にしています。

二つ目は、危機感を持つことです。うまくいっている状態から悪くなった経験を3回しているので同じ轍を踏まないように増資もして、サステナブルにGPUインフラで貢献するための工夫を多くしています。

そして、三つ目は余白の経営です。要は経費を削らない。カチカチまで乾燥した雑巾って絞っても水が出てこないじゃないですか。当社は余裕のあるときはジャブジャブでいいんです。そのほうが危機になったときに経費削減しやすいので。だから、成長のための投資にどんどん振り向けたらいいと思っていますし、社員の給料も上げて、サプライヤーにもしっかりお金を払って、交流にもお金を使う。いわば、企業のステータスですよね。

なるほど。過去にされた経験が、いまの教訓として生きていることが伝わってきますね。
経営は、余白と多様性だと思っています。社長の思いつきでやっていたら持続的な成長は望めません。実務は社員のほうがよくできますしね。ただ、私は創業社長なので、口を開けば耳を傾けてもらえます。でも、「何を言うか」より、「誰が言うか」が重要なこともあるので、「これからは厳しい」「これからは成長させていく」など、浮き沈みのコントロールとカルチャー維持は経営の仕事としてしっかりやっていこう、という思いです。

国内クラウド市場を盛り上げていくために

ガバメントクラウドに関する他社さんのインタビューで、「外資企業ばかりが選ばれていてもったいない」とコメントされているのを読んで、国内クラウド市場への思いの強さを感じたんですが、田中社長にとってありたい姿とは?
重要なのは、自分たちでつくれることです。そのためには海外に広く学ぶ必要があるので、海外のソフトウェアを排除するのではなく、そこから学び、新しい視点でつくっていくことが大切です。ソフトウェアは「20年周期」と言われています。これは、20年でキャッチアップできる、模倣しやすくなる、ということです。クラウドサービスも、ある程度の資本と自社エンジニアの数が必要になるものの、追いつきやすくはなっています。

もう一つ、オルタナティブの観点も大切です。たとえば、ゲームソフトも日本はクリエイティビティでアップデートしてきました。このほか、『ウォークマン』が出てきたり、車が小型化したり燃費が良くなったりと、海外から取り入れたものに日本で付加価値を付けた結果、世界中の人が喜んでいるわけです。ひるがえって、クラウドの領域も製品・サービスの質を20年でキャッチアップして、「日本のクラウドのほうが良かったね」と言われるようなサービスをつくることが重要であり、そのなかで日本製品の強みが出てくると思っています。
メジャーリーグも最初は日本人が活躍できるのか懐疑的でしたが、野茂英雄さんが米国で活躍した突破口を機に、イチローさん、田中将大選手、そして、いまや大谷翔平選手と大活躍しています。自動車や家電なども同様で、最初は輸入であったものに磨きをかけて世界中に貢献する時代をソフトウェアでつくることは絶対可能だと思うんですよね。田中社長とは、これを成し遂げるためにはどうすればいいのかを一緒に考えていきたいですね。

「デジタル貿易赤字」なんて言いますが、輸入しているソフトウェアが多いわけです。ソフトウェアって一番の付加価値です。なんといっても生産性が高い。開発費はかかるけれど、つくってしまえば、コピーしただけ儲かるわけです。要は原価ゼロなんですね。ゲームだって、ダウンロード販売したら、1本売っても100本売ってもコストは手数料ぐらいしか変わりません。

日本は世界から見て、クリエイティビティが高い国だと言われる一方、「資源がない」「地理的に遠い」と指摘されてきました。けれども、いまは資源も遠さも関係ない時代ですから、日本はソフトウェア産業をしっかり振興していくべきです。私たちも平野さんと一緒に取り組めると、とても嬉しいです。
いまの日本はそれなりのサイズがあるので、国内でビジネスをしているだけでも食べていけるんです。むしろ、韓国や台湾のほうが市場が小さい分ハングリー精神を持って国外に出ています。日本にも世界的な視座でビジネスを考えて、開発して世界に出していく会社が増やしていきたいと考えていますね。

「デジタル赤字なので、もっと日本の製品を使いましょう」って言うけれど、それをしてしまうと極端な話、鎖国になります。輸入を減らすだけは絶対ダメです。自分たちが外に出して、輸出入のバランスを取っていくことが大事なんですよね。

デジタル赤字を減らすより、デジタル黒字を創出するほうが、健全ですからね。
これからは海外ですか?
そうですね。実は債務超過時代に一度挑戦しましたが、全部手じまいしてしまったんで。
次は一緒に行きましょう。ガバメントクラウドにはデータ連携が必要ですから。すると、世界中につながるサービスを提供できるので、それを海外に出していきましょう。
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この記事を書いた人
香川妙美 山口県生まれ。音楽業界での就業を経て、2005年より自動車関連企業にて広報に従事。2013年、フリーランスに転身。カフェガイドムックの企画・執筆を振り出しに、現在までライターとして活動。学習情報メディア、広告系メディア等で執筆するほか、広報・PRの知見を活かし、各種レポートやプレスリリース、報道基礎資料の作成も手掛ける。IT企業・スタートアップ企業を対象とした、広報アドバイザーとしても活動中。