2024年1月9日

迫る「医師の働き方改革」岐路に立つ日本の医療をDXは救えるのか?【藤田医科大学准教授 西垣孝行先生に訊く】

2024年4月に施行される「医師の働き方改革」が、「医療業界の2024年問題」として注目されています。実際、どういう問題を抱えているのでしょうか? 課題解決にデジタルトランスフォーメーション(DX)が寄与できる余地は? 社会起業家でもある、藤田医科大学医療准教授 西垣孝行先生に聞きました。

日本の医療をDXは救えるのか?

すっかり浸透した「働き方改革」。リモートワークの恩恵を受け、プライベートに割く時間が増えた人も多いのではないでしょうか。そんななか、これから働き方改革の波がやってくる業界があります。日々私たちの健康を守ってくれるお医者さんの属する医療業界です。ただ、「それは良いことだね」と言っていられない事情も。いわゆる「医療業界の2024年問題」です。

今回は、藤田医科大学 医療科学部 医療准教授(臨床医工学分野)であり、NPO法人 まもるをまもる の代表理事を務める西垣孝行先生に「医師の働き方改革」について解説いただくとともに、テクノロジーの介入が課題解決につながる可能性についてもお話いただきました。

お話を伺ったのは……

西垣孝行(にしがき・たかゆき)先生|藤田医科大学 医療科学部 医療准教授

1977年生まれ、大阪出身。 2000年、国立循環器病研究センターで17年間、臨床工学技士として従事。人工心肺や補助循環が専門。博士(応用情報科学)取得後、医工連携に従事。2017年に経済産業省 医療福祉機器産業室、2018年森ノ宮医療大学を経て、2023年藤田医科大学に着任。 感染予防用アイガード「パラシールド」、命の現場のバグを共有するアプリ「evaGraphy」、熱中対策ウォッチ「カナリア」を商品化。 医療ヘルスケア関連のスタートアップの起業家参謀や大企業の新規事業コンサルを複数行いながら、医療DXを推進。医療者の複業解禁や医療イノベーターの育成にも挑戦中。

「医療業界の2024年問題」とは

まずは、今回のテーマである「医療業界の2024年問題」について教えてください。
2024年4月から医師の長時間労働の是正と多様な働き方の実現を目的に、時間外労働に上限が設けられます。そのため、いままでのように時間をフルに使った働き方ができなくなるのですが、医療の質を担保しながら労働時間をどうやって削減するのか、現場がその感触をつかめていないことが憂慮されています。
具体的に考えられている対策はあるのでしょうか?
まず、医師の業務を他のコメディカル(※注釈1)にタスクシフトする動きがあります。たとえば、特定行為研修を修了した看護師は、医師に代わって行える処置が増えるため、医師の負担軽減につながることが期待されています。

二つ目の対策として、医療者の空いた時間を生み出せるようなサービスの導入が期待されています。いわゆるICT、DX(※注釈2)と言われるものですね。実際、良いサービスは出てきていますが、臨床現場に浸透させていく難しさもあり、どこまで進むのか見えてこないのが現状です。

(※注釈1)コメディカル … 看護師や臨床工学技士、臨床検査技師、薬剤師など、医師を除く医療従事者の総称
(※注釈2)DX … デジタル・トランスフォーメーション(Digital Transformation)の略。企業が新しいデジタル技術を活用し、組織やビジネスモデルを変革することを指す
それは使いこなすまでに時間がかかる、検討や検証する人がいないくらい忙しい、そんな理由ですか?
それも勿論あると思います。他の業界と比較して、世の中の多くの病院はICTに対するリテラシーはそこまで高くありませんし、医療現場を稼働しながらシステムを変更していくのは、非常に手間のかかる作業になってしまいます。多くの施設で電子カルテが導入されていますが、セキュリティの観点からクラウドには繋がっておらず、中途半端なデジタル化で留まっており、DXには到底及んでいません。

さらに病院長や事務長など経営サイドの問題も大きいかもしれないですね。
病院経営に対するICTを活用した成功事例が少なく、産業界で推進されているようなDXに明るいともいえません。どの作業をどうやって効率的にするのか、予算はいくら掛けられるのか、コスト削減効果はどのくらいあるのか、そのお金で新しい医師やコメディカルを何人雇えるのか――

そういう視点を持った上で、多施設で議論を進めたり、多施設で連携できていないことが一番の理由だと思います。
医療のプロではあるものの、経営やデジタルには明るくない、ということですね?
さまざまな産業分野の経営者の考えを知るようになり、残念ながらそう感じます。また現場は、作業効率化のための便利なツールがあることすら知らないかもしれません。医療機関でこうした情報が広まりにくいことも課題のように思います。
ところで、時間外労働の規制は一般企業ではすでに始まっています。けれども、医療業界は5年の猶予があったんですよね。
そうなんです。背景には、各医療機関が時間外労働の上限を超えた時間の診療を任せられる医師を確保できるのか分からないことにありました。というのも、公立病院って、7、8割が赤字経営なんですよ
その体力で新しく医師を雇えるのか、すぐに答えが出せなかったということですか?
そのとおり。
実態を把握するために他業界よりも長い準備期間が設けられた、と理解しています。
とはいえ、厚生労働省の資料(※注釈3)を見ると、「医師の供給数は今後も伸びる」と推計されていたので、担い手は多くいそうですよね。あれ? そうでもないとか?

(※注釈3)厚生労働省「令和2年医師需給推計の結果(令和2年8月31日)」P.12 https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000665176.pdf
医師は地域によって偏在がかなりあり、地方によっては医師不足が深刻です。個人のキャリア像と、人事権を持つ組織の意向の間には大きなギャップがあるんです。今回の働き方改革自体は、医師にとって自らの意思が尊重され、働きやすさや自己実現につながるので良いことなのですが……。それから、専門医制度という切り口でも偏在があります。深夜や緊急の呼び出しの多い診療科は敬遠される傾向にあるので。
自分の目指す医師像を追求できるようになったものの、それによって医療を支える地盤に揺らぎが出ているとは。バランスを取る難しさを感じます。
システムに課題があるため、マンパワーに頼らざるをえないのが医療現場の実情です。忙しさから、勤怠を記録せず働き続ける医師もいると言われています。だから、労働時間を決めて医師をしっかり守っていこうと、「医師の働き方改革」がスタートするという流れです。

ようやく、ここからがスタートラインで、さまざまな問題が表出されるのだと予想します。

待ったなしの「医療業界の2024年問題」。私たち市民への影響は?

「医療業界の2024年問題」が顕在化したとき、私たちのような市民にはどのような影響があるのでしょうか。
規模やスピード、病院のサイズによっても変わると思いますが、おそらく「医師が確保できない」「業務が回らない」ために閉鎖する病院が出てきたり、診療科が無くなるなどの影響が出てくると思います。また同じエリアの病院同士が統合するなどの動きが出てくると思います。
つまりは、頼りにしていた近所の病院が無くなってしまうかもしれない、と。
あとは医師が長時間働けなくなるなら効率化を図ろうという考えになりますよね。すると、医師がコメディカルに依頼する業務が増え、マネージメント業務が増えることで伝達ミスやコミュニケーション不足が起こり、これまでと同じクオリティの医療が受けられなくなることも考えられます。ほかにも、週4日は大きな病院で働き、週1日は地方病院の応援に行く医師がいたとした場合、地方病院に勤務する時間を確保できないケースも生まれてきそうです。
大病院で残業しているうちに地方病院で勤務する時間を使ってしまった、という事態ですね
そうなると応援に行きにくくなりますよね。こうした医師が支えとなっている地域医療は厳しい状況に置かれるかもしれません。これは夜間診療をアルバイトの医師に頼っている病院にも言えることかと思います。24時間稼働する救命救急も、ゆくゆくはままならなくなるおそれがあります。
具合が悪くて病院に行ったけれど先生がいない、ということが起こりうるということですね。もしくは、いるものの「これ以上は働きすぎになるんで」って門前払いされるとか。そんなこと言われたら余計に悪化しそう……。
なかなか極端な例ですが、起こらないとは言い切れないかも知れないですね。
実施前なのでいずれも想像の域を超えませんが、医療資源を賢く、効率よく、より良く使うことを、受診する側も含めみんなが考えなければいけない時代になっていくのでしょう

理想は、医療とビジネスの垣根を越えていく世界

ここまでお話を伺っていると、優秀な医師は『ドクターX』の大門未知子のようにフリーランスで効率的に稼いだり、医療を別の形で支援する方向にシフトしたりする動きが活発化するんじゃないかと思います。実際、西垣先生もNPOを立ち上げ、『evaGraphy(エヴァグラフィー)』というアプリで、医療現場の課題やニーズの解決に取り組まれていますし。こうした変化の兆しって、すでに見られていますか?
医師として働ける時間が決まってしまうので、それ以外の時間は他のことに取り組もうと考えている人は多いでしょうね。これらを見越して既に動いている先生が非常に増えている印象です。2024年を境に、医療ベンチャーのコンサルタントやアドバイザーはもとより、自ら経営に携わる医師は、一気に増える気がします。 病院もビジネスと同じように「人的資本と資産を活用して医療をいかに持続可能にするのか」という視点を持たなければならないと思います。
医療の現場は苦しくなるかもしれない。けれども、その現場を良くしようと医師がビジネスに挑戦し始めるという構図ですね。医師の知識や経験をビジネスに活かすことは、社会的に見てもよいことですね。
そうですね。こういう転換期にこそ、ベンチャー企業は増えると思います。

VRでリハビリ、AIの活用…… 「医療業界の2024年問題」を助ける注目のプロダクトは?

医師や医療現場の助けになるサービスとして、先生が注目されている分野はありますか?
大きくいうと、医療の最適な配分を助けるサービスが生まれるといいですね。たとえば、Mediiという会社が展開している専門医のノウハウを共有できる「E-コンサル」というサービスがあるのですが、完全無料かつ、医療そのもののパワーがより発揮されるので、個人的には全病院が導入したほうがいいと思っています。専門医の力を借りれば、診断名が早く付き、早期治療につながるからです。たとえば、希少疾患の場合、診断がおりるまでに膨大な時間がかかりますが、その間、治療は何も進みません。

Mediiの代表である医師の山田裕揮先生は、まさにご自身でそのような体験をされていて、自らの課題を解決しようと開発したプロダクトということもあり説得力があります。病院単位でなく、個人で登録することもできますよ。
早期発見、早期治療ができれば、医療費削減にもつながりますね。
そうですね。さらには、製薬メーカーにも利があります。
希少疾患の薬は診断名の付かない患者さんには使えないので、いまは宝の持ち腐れのような状態です。けれども、診断が下りて治療が始まれば、莫大な費用をかけて開発した薬が使われるし、患者さんにも確実に薬が届きます。医師からしても、ああでもないこうでもないと病名を探る時間が最小限で済み、そのぶん他の患者さんの治療や自己研鑽に時間を充てられます。

これは、患者さんの早期治療を進めながら、医療費を削減し、医療産業にも適正なお金が回るエコシステムです。これが回り出すと、医師も含めて「四方よし」の世界になると思います。
なるほど。誰にとっても良いことですね。ほかにも注目されているサービスはありますか?
もう一つ挙げると、VRでリハビリを行う「mediVR」というサービスです。
非常に良好な成績が論文としても報告され始めているので広がって欲しいのですが、リハビリに関しては構造的な課題があって。そもそもリハビリって回数を重ねるたびに保険点数が付くシステムなんです。つまり、治らない方が保険点数をずっと貰えてしまう構造になっているんですね。早く治るほど点数がもらえないって、そもそも構造として課題があると感じています。
確かに。むしろ、早く治したぶんだけインセンティブが欲しいですよね。
このような課題に一石を投じる動きとして、開発元は成果報酬型のビジネスモデルを展開しています。患者さんと医療者でしっかりと目標を設定し、達成できたら報酬を得られる、という仕組みですね。これができるのも、そのサービスに治療効果が認められる成果が出ているからです。

たとえば私が感動した症例ですが、座った状態でゲームをするだけで、ずっと歩けなかったお子さんが半年後に杖を使って歩けるようになったりしています。
それはすごい!
どうやら脳神経学的なメカニズムが働くようです。また、このような効果に再現性を持たせるのは、決してVRデバイスの能力だけでなく、そのデジタルツールを使いこなせる医療者を増やしていけるかが重要になるようです。

大きなインパクトを与えられるものは早急に評価されて、世の中に少しでも早く広まることが、医療業界にとっても医療産業にとって必要だと考えています。今後は、医療現場サイドが多少の手間などのリスクを取ってでも、最先端技術のものを、現場で検証してみるという動きが生まれるといいですよね。
座ってゲームするだけならリスクはまったくないですよね。医師も診察回数が少なく済み、治療効果も出るのなら、どんどん普及してほしいです。
あとは、AIの活用が進むといいと思っています。例えば「Ubie(ユビー)」のような問診AI。患者さんにとっては、自分の症状に適した診療科がどこなのか分かりづらいと思います。結果的に、診療科を転々とするようなこともあると思うのです。先進的な病院では、受付時に患者さんの緊急度を確認したうえで、どの科で診るべきなのかを病院側でトリアージしていると聞きます。これによって手戻りがないようにするだけでなく、結果的に患者さんの満足度も信頼度も上がっていくようです。

このようにして蓄積された問診周辺の判断基準をAIに学習させて、個人(コンシューマー)に開放すれば、AIに相談すると症状に合った診療科を案内してくれるようなサービスができますし、病院からのフィードバックも加えれば、本当に今行く必要があるのかも判断が付くようになると思います。すると、医師も患者さんも必要以上の時間や労力をかけずに済みますから、双方の効率化が図れます。

このように医療DXに必要なさまざまなサービスを医師が起業して創る時代になっています。あとは、それらの仮説検証を実施してくれる医療現場を確保し、日本全体として医療イノベーションを加速するような仕組みが必要だと感じます

医療の継続は社会全体の課題

医療周辺の課題をテクノロジーで解決するだけでも、『医療業界の2024年問題』は乗り越えていけそうな気がしますね。
そうですね。課題が山積みですが、だからこそ課題解決に取り組むスタートアップに大いに期待したいと思います。

医療を補完できるスタートアップのソリューションの導入が医療現場で進めば、それなりのインパクトが出ると思います。ただ、そこにお金がどう回るのか、いわゆるマネタイズの仕組みはこれからだと思います。医療の診療報酬制度だけでは、おそらくイノベーションが限定的になってしまうのではと危惧します。複数のマネタイズ方法を確立していく必要性がありそうです。

予防医療など、いかに早期発見できたのか、その症例数はどの程度で、経済効果はどの程度か、という治療効果以外のエビデンスが必要になると考えられます。例えば、ソーシャルインパクトボンド(SIB)のように、医療費削減効果の分だけ、報酬が別で支払われるようになるなどです。現状は、SIBは事務作業が複雑で負担が大きくなるため、コストが合わないようです。個人的に期待したい領域は、企業版ふるさと納税や健康経営などのヘルスケア領域とのデータ統合による新たなマネタイズの手法の確立です。
聞けば聞くほど、医療業界だけでなく社会全体で考えなければいけない問題であることが分かります。
日本の医療は、先人たちによって世界に誇る国民皆保険制度という素晴らしい構造を作り上げてこられました。ある意味で税金を投入しながらも医療産業を拡大させて、質を上げて育ててきたと言えます。

しかし高齢化により病院にかかる患者が増え続けており、その結果、医療者は疲弊するほど頑張っているのに病院経営としては非常に厳しいというのが現状です。この悪循環と決別するためにも、今後、医療はさまざまな点で変わらなければなりません。

医療業界が多様な産業と結びつき、医療分野のイノベーションがたくさん生まれる社会づくりがいっそう求められています。一つの事例に過ぎませんが、私の所属する藤田医科大学も40億円のファンドを造成して医療ベンチャーへの投資を始めていますし、企業に就職する医療者を増やしたり、医療学生の起業家を育てるためのサークルが立ち上がったりしています。

医療の新しい当たり前を創るイノベーターが増え、さらに自分たちが医療を変えていくんだというマインドを持った病院施設が複数連携するようになると、医療業界はますます良くなるでしょうし、よりよい社会にもつながっていくと思います。「医療業界の2024年問題」は、一見するとピンチに見えますが、一方でチャンスでもあると私は考えています

編集後記

「医療業界の2024年問題」は社会全体に影響を及ぼす難題であることが、西垣先生の解説によって明らかになりました。何かあったときに病院にかかれる。この大前提が揺らいでいることに不安を覚える人もいるのではないでしょうか。

私たち一人ひとりが健康を心がけるだけでも、医療の継続は守られていくと考えます。それでも医療へのアクセスが必要になったとき、テクノロジーの活用によって病院にかかれる安心が担保され、さらには治療の選択肢も増えている世界がつくられていたら、そのときこそ誰にとっても望ましい医療の在り方が確立されるのかもしれません。

2024年4月に始まる「医師の働き方改革」。in.LIVEでも推移を見守っていきたいと思います。

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この記事を書いた人
香川妙美 山口県生まれ。音楽業界での就業を経て、2005年より自動車関連企業にて広報に従事。2013年、フリーランスに転身。カフェガイドムックの企画・執筆を振り出しに、現在までライターとして活動。学習情報メディア、広告系メディア等で執筆するほか、広報・PRの知見を活かし、各種レポートやプレスリリース、報道基礎資料の作成も手掛ける。IT企業・スタートアップ企業を対象とした、広報アドバイザーとしても活動中。