2022年3月25日

『起業の科学』著者、田所雅之氏と語る「“渇けない”時代のスタートアップ論」(前編)

起業家、イノベーターの必読書として知られる『起業の科学 スタートアップサイエンス』の発売から5年。著者の田所雅之氏が見ている、日本のスタートアップの景色に、アステリアCEOの平野が迫ります。


連続起業家、ベンチャーキャピタリストの肩書を持ち、日本、シリコンバレー、東南アジアのスタートアップ事情にくまなく精通している田所雅之氏。2017年に発売した『起業の科学 スタートアップサイエンス』(日経BP)は、Amazonの経営書売上ランキングで115週連続1位を獲得。今日に至るまで起業家をはじめ、多くのビジネスパーソンの取るべき針路を示し続けています。

書籍発売から5年が経ったいま、田所氏は日本のスタートアップの現在地をどのように見ているのでしょうか。日本の課題と期待、最前線を走り続けるシリコンバレーと勢いある東南アジアとの比較、アフターコロナの歩き方まで、あらゆる角度からさまざまに語っていただきました。アステリア株式会社 代表取締役社長/CEO 平野洋一郎との対談形式でお届けします。

田所 雅之(たどころ・まさゆき)氏
株式会社ユニコーンファーム 代表取締役社長

これまで日本と米国シリコンバレーで合計5社を起業してきたシリアルアントレプレナー。シリコンバレーのベンチャーキャピタルのベンチャーパートナーを務めた。現在は、株式会社ユニコーンファーム 代表取締役社長として国内外のスタートアップ数社の戦略アドバイザーやボードメンバーを務めながら、事業創造会社のブルーマリンパートナーズの取締役も務める。累計15万部以上を売り上げた「起業の科学」の著者である。

『起業の科学』が支える、スタートアップ&イノベーションシーンの最前線

 『起業の科学』は、スタートアップ界隈でバイブルとも呼ばれるまで多くの人が手にしていますが、出版後、ご自身にはどのような変化がありましたか。
『起業の科学』には、僕自身の経験も当然ありますが、たとえばポール・グラハム氏のブログや、スティーブ・ブランク氏の著書『The Four Steps to the Epiphany』(邦題『アントレプレナーの教科書 新規事業を成功させる4つのステップ』)の内容を紹介しながら、それらを一つにまとめた構成になっています。僕は、スタートアップは世界を変える存在だと思っていますから、当時もエコシステム全体を盛り上げたい思いでプレイブックを作っていたら、いつのまにかそれがスライドになり、本になって世の中に出ていったと捉えています。

現在、累計20万部、五か国語で翻訳されていますが、そこまで売れるとは思っていませんでした。ただ、ありがたいことに、NTTドコモやトヨタをはじめとした名だたる企業の新規事業担当者とお話していると、皆さんの考えのベースに『起業の科学』があったりするんですよね。加えて、”プロダクトマーケットフィット(PMF)(※1)” といった用語も、「『起業の科学』が読まれるようになって浸透してきた」とおっしゃる方もいて。

共通言語があると、コミュニケーションコストを下げながら新規事業に向かえるので、そこに少しなりとも貢献できたことは嬉しく思っています。
編集部注釈(※1)
プロダクトマーケットフィット(PMF)

顧客の課題を解決する製品を提供し、それが適切な市場に受け入れられている状態のこと

『起業の科学』は起業家や新規事業の担当者ばかりでなく、イノベーターと呼ばれる方にも多く読まれていますよね。
国の統計によると、およそ700兆円ある国内GDPの5%にあたる35兆円が、来期の研究開発に投資されることになっています。ここのカテゴリーに含まれるスタートアップは非常に大きな市場であると受け止められていると思う一方、残念なのはこの予算がイノベーションや技術シーズにばかり照準を当てていることです。

投資は事業の立ち上がりだけでなく、UXやマネタイズといった収益化の部分にも及ぶ必要性を感じています。別の見方をすると、35兆円のうち相当額が無駄になっている気がするんですよね。ここは多くの企業さんから相談を受ける部分であり、この無駄を減らす一つの参考として『起業の科学』が読まれているように感じます。

日本のスタートアップは、2030年の先の未来を考える「シリコンバレー的思考」が足りない

『起業の科学』は、無駄な投資をどのようになくすのか、その知見を得る役割も担っているということですね。いまのお話ですが、シリコンバレーでもスタートアップの中には潰れるところもあって無駄になって終わるケースが見られます。日本と比べてどう違うのでしょうか。
去年の日本国内の企業調達の内訳を見ると、大きいのがDeepTech(基礎技術)、そして仮想通貨取引所関連です。日本にはシリコンバレーのように、ブロックチェーンのスケーラビリティ問題や、インターオペラビリティ問題(※2)を解消するといった技術的要件に取り組むスタートアップが少ないという本質的な課題があると思います。

GAFAに対応していくときも、SaaS領域での起業が多くみられました。こうした領域は事業化やKPI化しやすい点もありますが、ローリスク・ミドルリターンを取るスマートな起業家が増えていると感じます。思い切ってWeb3に挑戦するとか、メタバースにガンガン突っ込んでくような起業家が相対的に少ないですよね。
編集部注釈(※2)
インターオペラビリティ問題
相互運用性のこと。既存のブロックチェーンの課題として指摘されることが多い。

なるほど。日本の35兆円はチャレンジングなところで使われていない、ということですね。< 私は2008年から2012年まで青山学院大学大学院で、『技術経営の実践』という講座を持っていました。起業家を一人でも増やしたい思いからお受けしたのですが、その4年間で起業した人はゼロで、お勉強に終始していました。

受講者のなかには企業派遣の方もいて、この35兆円のなかに、その人たちの学費などもカウントされているとしたら、やはりシリコンバレーとは無駄の質が全然違いますね。
平野さんのそのお話は、日本の企業の現実そのもののように思います。
たとえば、「2030年に自動運転のレベル5が実現する」となった場合、そこからバックキャスト思考(※3)で経営計画を描く短期的思考の企業は、実際のところ多いでしょう。
一方、「さらにその先の遠い未来のあるべき姿は何か」を考えているのが、シリコンバレー的な思考です。シンギュラリティ大学や、イーロン・マスクの発想はまさにこれに近いですよね。

イーロン・マスクは、『テスラ』やバッテリーマネジメントシステムを作りたいわけではありません。「世の中をサステナブルな世界にしたい」という思考で事業をしています。スティーブ・ジョブズも“車輪の再発明”はせず、iPhoneに代表されるように、いろいろなテクノロジーを掛け合わせて新しいものを生み出しました。このように、シリコンバレーでは技術的コンバージェンス(技術的な収束)を考えたうえで、未来にトランスフォームしたイメージと、そこから逆算して10年後の世界をどうフォーカスするのか? ということを確実に考えています。

ただ、そのぶんボラティリティー(※4)も大きくなるので、Yコンビネーターやペガサスといったアクセラレータが投資したとしても、2年以内に潰れてしまう企業が半数いたりもします。とはいえ、シリコンバレーの場合、イグジットはNASDAQ上場ではなく、M&Aが基本です。これが良いのか悪いのかは分かりませんが、結果として人材流動の活発化につながっていると思います。

ひるがえって日本ですが、こうした動きがどうしても見えてきません。既存の新規事業の範囲でスコープを当て、GAFAがひたすら強くなる2030年に向けた世界に適応しようとしています。
編集部注釈(※3、4)
バックキャスト思考
将来的に起こりうる制約(問題)を受け入れ、生活者に新たなライフスタイルへの変容を促すことで問題を解決する思考のこと。

ボラティリティー
一般的に価格変動の度合いを指す。ボラティリティーが大きい=商品の価格変動が大きく、買い手側にリスクがあることを意味する。

よくわかりましたし、とても共感します。
『起業の科学』を読むとフレームワークの知識や起業の考え方など、さまざまな示唆を得られますが、「シリコンバレー的思考」、つまりバックキャストするその先の未来までには至らない部分はありそうです。

実際、多くのスタートアップがフォーカスを当てているのは2、3年先ですから、「未来」を語るスパンの長さが違うようにも感じます。田所さんがおっしゃるような未来思考に変わるには、何をきっかけにしたらよいのでしょうか。
たとえば8年前、Amazonは『Kindle Fire Phone』を発売しましたが、まったく売れませんでした。これは搭載された4つのカメラをモノに合わせると、それが3次元に浮かび上がる仕様で、「3次元で見たら買いたくなるでしょう。Amazonで買いましょう」のようなUXが想定されていました。しかし実際のユーザーがスマホでモノを買うのは1週間に2回程度でしたから、ジェフ・ベゾスのこの発想は未来にぶっ飛び過ぎたところがありました。

ですが、彼はそこから学び、『Amazon Alexa』や『Echo』につなげました。
この話に象徴されるように、GAFAもたくさんの失敗から学び、その後に生かしています。つまり、妄想を持ちつつも現実的な観点でバランスしているんですね。

こうした感覚を養うには、バックキャスティング思考だけでなく、現時点であるものを起点に積み上げて考える「フォアキャスティング思考(※5)」を持ち合わせることが大事です。

田所雅之氏のスライドより抜粋

ただ、小さなスコープでこれをやってしまうと、自分たちの目指す世界観が陳腐なものになってしまうので、まずはビジョンを大きく持つことです。自分の思考を遠い未来に飛ばし、そこからバックキャストする手法を試してみてほしいですね。現実を湾曲させて未来を語る、“両眼の視点”が大事なんです。
編集部注釈(※5)
フォアキャスティング思考
目の前の制約を取り除くことで問題を解決し、生活者に貢献するという思考。不便を解決し、便利なモノ・コトを提供すること。

※ この取材はオンラインにて行われました

後半記事では、起業の原動力にもなる不満や怒りといった”渇き”についてや、日本のスタートアップにおける希望、さらに ”ウィズコロナ” と言われる時代でのスタートアップの変化について、お話を伺います。

『起業の科学』著者、田所雅之氏と語る「“渇けない”時代のスタートアップ論」【後編】にてご紹介しますので、公開を楽しみにお待ち下さい!

この記事がよかったら「いいね!」
この記事を書いた人
香川妙美 山口県生まれ。音楽業界での就業を経て、2005年より自動車関連企業にて広報に従事。2013年、フリーランスに転身。カフェガイドムックの企画・執筆を振り出しに、現在までライターとして活動。学習情報メディア、広告系メディア等で執筆するほか、広報・PRの知見を活かし、各種レポートやプレスリリース、報道基礎資料の作成も手掛ける。IT企業・スタートアップ企業を対象とした、広報アドバイザーとしても活動中。