2022年4月7日

『起業の科学』著者、田所雅之氏と語る「“渇けない”時代のスタートアップ論」(後編)

起業家、イノベーターの必読書として知られる『起業の科学 スタートアップサイエンス』の発売から5年。田所氏が見ている、日本のスタートアップの景色に、アステリアCEOの平野が迫ります。


連続起業家、ベンチャーキャピタリストの肩書を持ち、日本、シリコンバレー、東南アジアのスタートアップ事情にくまなく精通している田所雅之氏。2017年に発売した『起業の科学 スタートアップサイエンス』(日経BP)は、Amazonの経営書売上ランキングで115週連続1位を獲得。今日に至るまで起業家をはじめ、多くのビジネスパーソンの取るべき針路を示し続けています。

書籍発売から5年が経ったいま、田所氏は日本のスタートアップの現在地をどのように見ているのでしょうか。2022年3月に公開した前編に引き続き、後編では、対談タイトルにもなった “渇けない” 時代のスタートアップ論について、詳しく伺います。アステリア株式会社 代表取締役社長/CEO 平野洋一郎との対談形式でお届けします。

田所 雅之(たどころ・まさゆき)氏
株式会社ユニコーンファーム 代表取締役社長

これまで日本と米国シリコンバレーで合計5社を起業してきたシリアルアントレプレナー。シリコンバレーのベンチャーキャピタルのベンチャーパートナーを務めた。現在は、株式会社ユニコーンファーム 代表取締役社長として国内外のスタートアップ数社の戦略アドバイザーやボードメンバーを務めながら、事業創造会社のブルーマリンパートナーズの取締役も務める。累計15万部以上を売り上げた「起業の科学」の著者である。

「怒れない」「渇けない」日本。起業の種を見つけるためには

日本は、バックキャストする能力もまだまだ弱い印象があります。背景には何があると感じていますか。
日本は良くも悪くも便利になりすぎてしまいました。
たとえば、東南アジアで発展した配車サービス『GO-Jek』『Grab』は、自分たちなりにフォアキャスティングしながらどのようにしてドライバーやユーザーのインセンティブを作るのかなど、細かい設計を決定していった経緯があったと思います。さらには、「貧困層をなくすため、ちゃんと働いている人にはオートローンを適用する」というようなビジョンもあったと思うんですよ。このようにインフラのない地域にアナロジーできる思考があったことが、起業するためのフロンティアになりました

一方、日本はもうこれ以上にないほど便利で安全で公平な世界になっています。ですから東南アジアで起きたようなイノベーションは必要ない、というのが現状です。バックキャストする能力を養いたいのなら、こうした地域の「いま」を見る必要があるでしょうね
現実として日本の起業シーンは徐々に遅れている感があるわけですよね。「Web3」もまだ評論ですし、仮想通貨の取り組みもまだまだ。それこそ、シリコンバレーの「Yコンビネーター」を見てみると、核融合に取り組むスタートアップがいたりしますから、そんなところからすると遅れを感じずにはいられません。

いまの日本は恵まれていますが、遅れが激しくなったときには、いわゆるリープフロッグ(※1)が生まれるようなこともありうるのでしょうか。
編集部注釈(※1)
リープフロッグ

既存の社会インフラが整備されていない新興国において、新しいサービス等が先進国が歩んできた技術進展を飛び越えて一気に広まること。リープフロッグ現象とも呼ばれる。

リープフロッグが生まれる根本にあるのは起業家の怒りではないでしょうか
現状の不満や怒りが原動力になることも多いと思うのですが、いまの日本で出てくる怒りは、そこまで辛辣ではありません。たとえば、カーボンニュートラルが声高にされていますが、日本の空気は汚染しているどころか、むしろきれいなんですよね。こうした状況で普遍的な怒りを持つのは難しい。ですから、バブルを体験した人やミレニアル世代など、豊かな社会に生まれてしまった世代は、“渇けない”ことが一種の足かせになっている感があります。

僕が東南アジアを好きな理由は、渇いた世代があふれているからです。インドネシアなんて平均年齢が24歳です。

まだまだ貧困層が多く、賄賂もいっぱいあるアンフェアな社会に誰もが怒りを持っていて、その世界を変えるアウトプットとして起業が有効な手段の一つになっています。“渇き”を見つけられる起業家は非常に強い気がします。
一方、日本のスタートアップを希望や期待という視点でみると、どのように映っていますか。
コンテンツの強さは大きいですよね。マンガしかり、アニメしかり、この“推しエコノミー”的な領域で、日本は世界の中心にいると思います。これをどのように見せ、切り取るのかが大事になるでしょう。日本のコンテンツのファンは世界中にいるので、どうレバレッジをかけていくのかは日本のスタートアップの希望ですし、作ることもまた世界で類比ないほど長けています。

これらを活かそうと挑戦するスタートアップには大きな魅力があるので、興味深く観察しているところです。

経営者が再び起業家に戻ることもスタートアップを盛り上げる方策に

改めて、日本のスタートアップをどんどん盛り上げていくためには、どういう取り組みが必要とお考えですか。
スタートアップへの投資額がここ10年で10倍に増え、現在は7,000億円にも及んでいます。このうち7割にあたる5,000億円が人件費に回っています。これを一人当たり1千万円で割ると、50万人の優秀な人がスタートアップに雇用されている計算になります。この50万人が100万、200万人と推移するようになれば、スタートアップに入ることがキャリアの一つになると認識されていくと思います。

起業の経験が事業会社側で評価される時代になりつつありますし、大手企業がスタートアップのマインドを持ってアセットを使い出したら、素晴らしいものが生まれるとも思います。こうした動きが顕著になり、投資額も人材の流入も大きくなっていけば、景色はずいぶんと変わることでしょう。
この動きに拍車をかけるべく、海外のお金を呼び込むための有効な方法はあるのでしょうか。
最近、アセットクラスの増加が顕著なので、国内のユニコーンの数が増えてきている点は期待が高まります。未上場のうちに株価を上げ、いろいろな機関投資家とリレーションを作りながらエクイティストーリーを創っていく、かつ海外への仕込みも行う。これができるようになったことは大きいです。

岸田政権になって東証マザーズの株価が急落する事態が起こりましたが、これは「スモールIPOしてもあとが大変だよ」というメッセージだと思っています。とはいえ、主幹事証券会社はじめ、監査法人、メインのベンチャーキャピタルともに「早くIPOしてほしい」というのが本音でしょう。圧力のかかる状況ですが、IPOが目的化することは本当によくありません。そうしないためにも、未上場時にしっかり資金を集めることが重要です。加えて、経営陣が起業家に戻ることが大事だと思います。

ビジョナルの南さん、SmartHRの宮田さんは、「いまの事業は部長以下に渡して自分は新しい事業を立ち上げる」と宣言しています。ユニコーンの良さは、経営者がまたゼロイチに戻れるところです。上場企業は赤字事業が2期続くと、そこを正当化することはなかなか難しい。ですから、経営者が再び起業家に戻るような循環を生み出すことは、海外からの資金を呼び込む一つの策になると思います

技術×業界×SDGsのトライアングルによるパーパスづくりは、今後の起業に欠かせない視点に

新型コロナウイルスの蔓延から約2年が経ち、世界もずいぶんと変わりました。ウィズコロナの続く状況下のスタートアップは、日本そして世界の枠組みのなか、どのように推移していくのでしょうか。
AIやIoT、XR、ブロックチェーン、そしてDeepTechがいよいよ成熟期に突入しています。2023年辺りからはいろいろなものがアプリケーションとして生まれ始め、フィジカルとサイバーの垣根を超えていくことになるでしょう。これは、あらゆる産業がいよいよトランスフォーメンションしていくことを意味します。

ここにSDGsの17のゴールを掛け合わせ、どのようなトライアングルをつくるのか、テクノロジーの変曲点を予測しながら、どの領域のUXやソリューションを考察し、SDGsの目標を達成するのか――

こうしたパーパス文脈を作っていくことが非常に大事になると思います。
とはいえ、いまはコロナで国外に出るのも厳しい時代です。そのようななかでも刺激を受けたり、着想を得たり、妄想したりするためのアドバイスをいただけますか。
フィジカルには移動できないものの、バーチャルではできるかもしれないし、メディアから情報を得ることもできます。実際、僕は半分以上の情報を英語で見ていますが、海外の一次情報にどれだけ触れられるのかを大事にしているところがあります。

いま、一番おもしろいのはWeb3の業界です。2004年ごろのWeb2のように、いろいろな技術的革新が起こりつつあるものの、標準化はされるのだろうか、もう少し先になるのだろうかのような状況にあって目が離せません。まさに次の世界が形作られていくのを目の当たりにしているような感覚があります。このように誰もが未踏の状況のなかに身を置き、常に好奇心を持ってかかわることもまた大事になると思います。
傍観するのではなく、身を置いてその様子を洞察することで見える世界があるということですね。田所さんとお話していると、自分もいろいろな妄想が湧いてきて何かを始めたくなりますね。
2020年代もスタートアップの市場は非常に大きく、まだまだフロンティアは残っています。攻略するのは簡単なことではありませんが、いろいろなリソースのかけ合わせができる起業家が、市場を席巻するようなビジネスモデルをつくることを期待しています。志のある人にはぜひ目指してほしいです。

編集後記

たくさんの企業事例を交えながら、国内スタートアップ市場を鋭く分かりやすく解説してくださった田所さん。そのお話からは、日本のスタートアップが置かれた環境の厳しさが浮き彫りになりましたが、思考の変容や視野の広げ方によっては大きなチャンスのあることを示してくださいました。

本記事を読んだことを機会に、田所さんの著書『起業の科学 スタートアップサイエンス』を再び熟読し、ご自身や会社の事業構想に思いを馳せてみるのはいかがでしょう。今まで気づかなかった新たなビジネスチャンスを見つけるきっかけになるかもしれません。

関連リンク

起業の科学 スタートアップサイエンス

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この記事を書いた人
香川妙美 山口県生まれ。音楽業界での就業を経て、2005年より自動車関連企業にて広報に従事。2013年、フリーランスに転身。カフェガイドムックの企画・執筆を振り出しに、現在までライターとして活動。学習情報メディア、広告系メディア等で執筆するほか、広報・PRの知見を活かし、各種レポートやプレスリリース、報道基礎資料の作成も手掛ける。IT企業・スタートアップ企業を対象とした、広報アドバイザーとしても活動中。