シリコンバレーの歴史、「常識」は違っていたのか?

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 ずっと、ヒューレットとパッカードが原点だと思っていました。

 いや、私が思っているだけでなく、この業界では「常識」とされています。そう、我らがハイテクベンチャーの聖地とも言われる「シリコンバレー」とその起業家精神の原点です。


 たとえば、一橋大学イノベーション研究センター教授の米倉誠一郎さんの「シリコンバレー ― ハイテク聖地の歴史」。シリコンバレーの歴史として、シリコンバレーの父といわれるフレデリック・ターマン教授とヒューレット、パッカードが遭遇したことが語られています。

 そして、私がこの記事に触れたのは一昨日のことです。

 「シリコンバレーの秘密の歴史―祝・シリコンバレー生誕100周年」
  – 日経ITpro

“私は驚いたのですが、シリコンバレーはパロ・アルト市のガレージで始まりましたが、それはヒューレット氏とパッカード氏のガレージではありませんでした。シリコンバレーの最初のエレクトロニクス企業は真空管のフェデラル・テレグラフであり、もともとはポールソン・ワイヤレスという名前で1909年に創業されました。”

 この記事によると、1939年にヒューレットとパッカードがガレージでHPを創業するずっと前から、シリコンバレーでは起業家精神が溢れていて、真空管のスタートアップが勃興した時代や、マイクロウェーブのスタートアップが勃興した時代があったのだそうです。

 私は、以前からよく「常識を疑え」と言っていますが、シリコンバレーやその起業家精神の発祥を疑ってみたことはありませんでした。やられました(笑)

 世の中には「常識」と言われるものが数多くありますが、やはりイノベーションを目指す一人としては「常識を疑ってみる」ことを忘れないようにしたいものです。


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