月別アーカイブ: 2017年2月

オウンドメディア「in.LIVE」スタート!

インフォテリアのオウンドメディアとして「in.LIVE」を始めました。

読者の中には「オウンドメディアって何?」という方もいらっしゃるかもしれません。英語で書くと「Owned Media」。つまり、自社で持つメディアのことです。広義では、自社ウェブサイトそのものやブログもオウンドメディアですが、狭義では、記事体裁のコンテンツで構成されるいわゆるオンラインメディアの形式をとるサイトをオウンドメディアと呼ぶケースも増えているようです。

ソフトウェア業界で有名な狭義のオウンドメディアとしては、サイボウズの「サイボウズ式」があります。業界を越えると、ライオンの「Lidea」や、資生堂の「Beauty & Co.」などが有名です。

インフォテリアも、コーポレートサイトを含めて、製品毎にサイトを立ち上げブログも展開するなど、広義のオウンドメディアを通じた情報発信は以前から行っています。今回、それらに加えて新たに「in.LIVE」を始めたのには、理由があります。それは、ウェブマーケティングが徐々に自社や自社製品への「囲い込み」から、ユーザーや顧客の方々からの「囲われ込み」に軸足を移してきているからです。

昨今、FacebookやツイッターなどのSNSやキュレーションの発達によって情報発信が一方通行では無くなってきています。つまり、オウンドメディアで企業が発信したコンテンツを、いかにしてSNSなどで拡散されるように仕掛けるか?企業側がどう取り上げるかではなく、個々人にどう「取り上げてもらうか」が重要になってきているわけです。

また、インフォテリアが様々な技術の最前線に立ってビジネスを進めて行く上で、直接自社のソフトウェアには関係しなくても、多くの人にとって有益であろう情報にたびたび触れます。そうした情報を、もっと幅広く、個々人の感覚に近く、考えること、感じることを発信していこうと考えました。

そこで、「in.LIVE」の全体のテーマは「人を感じるテクノロジー」。

インフォテリア製品にかかわらず、関連分野や興味の湧きそうな技術とそれに関わる人にスポットライトを当てて、ユーザーや顧客の方々にかかわらず、幅広い人に少しでも興味をもってもらえる話題が提供できればと考えています。

「in.LIVE」の編集長は、台湾情報サイトの運営でも活躍中の田中伶(広報・IR室)が務めます。これまでの、ビジネス書キュレーションや、スタートアップ企業での広報の経験を活かしながら、「人を感じるテクノロジー」を積極的に発信していきます。ぜひご覧になってください。

URL https://inlive.infoteria.com/

ソフトウェアジャパンアワード2017受賞

「ソフトウェア ジャパン アワード」という賞を聞いたことがあるでしょうか? これは、(一社)情報処理学会が主催し、年に1度、個人に与えられる賞で、下記のような人に与える賞とされています。

日本発の世界に誇るソフトウエアの研究者、開発者、技術者で、情報技術分野において特に産業界への功労がありその業績が顕著であると共に、今後の産業界への活躍が期待できる方へ贈呈。 (情報処理学会ウェブサイトより)

この賞は、これまでにiモードの夏野 剛さん、Rubyのまつもとゆきひろさん、TRONの坂村健さんなどが受賞されていて、昨年はチームラボの猪子寿之さんが受賞されています。このように、日本のソフトウェア界を代表するような方々が受賞されている賞ですが、今年は驚くべきことに私が受賞することになりました。 受賞の連絡をいただいた時には、正直に言って驚きました。受賞理由は以下の通りとされていますが、ソフトウェアに陶酔して大学を中退して以来、2つの会社で学んだことをベースとしてインフォテリアを起業し、やりたいことを精魂込めてずっと続けて来ただけなのです。

平野氏は、日本発のXML専業ソフトウェア開発ベンダとして1998年にインフォテリア社を起業した。その代表製品である、「ASTERIA」は導入企業5,000社を超え、データ連携ミドルウェア市場で9年連続国内トップシェアを継続している。また、XMLコンソーシアム(現先端IT活用コンソーシアム)の立ち上げや、2016年の「ブロックチェーン推進協会」の立ち上げなど、新技術を中核とした業界コミュニティの活動にも熱心に取り組んでいる。コミュニティ活動による技術者育成、市場への新技術の浸透への貢献も大きい。事業のグローバル化を見据えて近年は活動拠点をシンガポールに移し、更なる活躍が期待される。

聖人君子ではないので、私も社会貢献を第一に活動しているわけではなく、その根っこの動機は極めて個人的なものです。そこで、表彰式での受賞スピーチでは、なぜ私がこういった活動をしているのかの根っこの話をさせていただきました。以下、その抄録です。(長文)

「I have a dream.」という有名なスピーチがあります。
ソフトウェアに関して、私にも夢があります。今日は、その話をします。

それは、「ソフトウェアを日本の輸出産業にする」という夢です。

私は、ソフトウェアは産業財として
資源も国土も乏しい日本に適していると確信しています。

なぜなら、ソフトウェアを造るために、資源や原材料を輸入しなくてもよいからです。
そして、製造にあたって大規模な工場を作ったりする必要がないからです。
さらに、いまではソフトウェアは世界中に一瞬で届けることができます。
Windows, Mac OS, Android, iOSなど稼働環境も課金ネットワークも世界中でフラット化してきました。 それなのに、日本の多くのソフトウェア開発企業は、日本国内だけでしか事業を行っていません。

なぜか?

それは、ほとんどが「受託開発」というスケールしないビジネスモデルになっているからです。一つの顧客から注文書をいただいて、その注文通りに開発して、注文者に納めるというビジネスモデルです。このモデルでは、売上を伸ばすためには、それだけ人手が必要となって、スケーラビリティに乏しいのです。

一方で、世界で活躍しているソフトウェア企業は、どうでしょうか?Microsoft、Oracle、Google、Facebook。注文書をもらってその通りに開発して納める受託開発はやっていません。製品開発でありサービス開発です。どこからも注文書は来ないのに、自ら考えて、開発して、どうですか!と言って世に提案するのです。

このように、おなじソフトウェア開発業でありながら、日本と欧米のビジネスモデルは大きく違っていて、構造的に世界で勝負できるようになっていないのです。

私は、その状況を打破し、日本から世界中で使われるソフトウェアを開発するために、米国型・シリコンバレー型の企業としてインフォテリアを起業しました。

その理由は、私の少年時代にまで遡ります。

私は、小学校時代から半田ごてを握っている電子工作少年でした。
愛読書は「ラジオの制作」と「トランジスタ技術」。
高校に入ってすぐに、愛読書に載っていた「マイコン」に衝撃を受けました。

それまでは、「別のことをやる」には「別の回路を設計する」必要があったのですが、「マイコン」では、「別のことをやる」ために別の回路を設計しなくても良いのです。同じ回路のままで、計算ができたり、カウンターができたり、ゲームができたりしました。
これは電子工作少年にとっては「青天の霹靂」でした。

そこから一気にソフトウェアにのめり込みました。
高校での授業中もノートを取るふりをして机上プログラミングをしていました。
最新のコンピュータがあるという噂を聞いて、熊本大学工学部に進学しました。
しかし、1年生、2年生はコンピュータの基礎を座学や古いマシンで習うだけで、
最新のコンピュータなど使わせてもらえません。

「大学の4年間は無駄だ!」と考えて、熊大マイコンクラブの1つ学年が上の先輩と大学を中退しました。そして、アルバイトをしていたマイコンショップでソフトウェア開発組織を作りました。これがキャリーラボという、熊本から日本中にソフトウェアを提供していた会社です。

今、米国では、スタンフォード大や、イリノイ大や、ジョージア工科大やMITなどの大学の周りで多くの企業がスタートアップすると指摘されています。しかし、日本にも以前は各大学の周りに、卒業生や学生がスタートアップしたソフトウェア企業があったのです。
・北大のハドソン
・東大のサムシンググッド
・阪大のダイナウェア
・九大のシステムソフト
そして、熊大のキャリーラボという風に。

当時、これらの会社が開発していたソフトウェアの領域は多岐にわたっていました。OS、プログラミング言語、ゲーム、ワープロ、業務パッケージまで。しかし、各社とも組織が大きくなってくると同時に、外資系の参入によって、経営が厳しくなると、受託開発に走るようになってきました。

私は、自分で開発した日本語ワープロが「日本一」を受賞して、次は「世界一」だということで、当時マイクロソフトより大きくてソフトウェア起業としては世界一の売上だったボストンに本社があるロータスという会社に入りました。

ロータスではマーケティングをやらせてもらいましたが、私が外国製の製品を担いで売っているときにも、国産のソフトウェアベンダー日銭稼ぎに走り、研究開発投資も先細り、どんどん衰退していきました。

一方で、本社のある米国では、優秀なエンジニアがどんどん新しい会社を作り、すぐにアイディアを形にして、ヒット作を世に送り出していく姿を目の当たりにしました。

ソフトウェアエンジニア時代は、私も例に漏れず「良い物を作れば良い」と考えていましたが、完全に甘い考えだということを悟ったのです。 そして、欧米のやり方を研究して、世界と渡り合っていくためにソフトウェア開発企業として最低限必要な3つのことを悟りました。

1つめは、製品開発に集中し、受託開発をしないこと。
2つめは、投資家と組むこと。
3つめは、フォーカスすること。

受託開発がスケールしないことは既に話しましたが、2つめの「投資家と組む」とは何でしょうか?エンジニア時代の私もそうでしたが、なんとなくお金を避けているところがありました。中にはお金を汚いものと考えている人さえいます。しかし、シリコンバレーでもボストンでも、ミリオンドル(億円)単位の投資を受けることで、長期間全く売れなくても優秀なエンジニアを雇い、短期間で製品開発をすることができるのです。日本の日銭稼ぎと並行の製品開発とはスピードが全く違います。

3つめの「フォーカスする」とは何でしょうか?これは一点突破することです。一点突破することで、その小さな領域ではスタートアップが大企業を勝ることができる可能性が高まるのです。例えば、インフォテリアでは、XMLにフォーカスしてXML事業のために27億円を集めました。あの当時XMLの研究を始めていた大企業もありましたが、27億円の投資をできた大企業があったでしょうか?

そして、またフォーカスは2つめの大きな投資を小さな会社が受けられる理由でもあるのです。 一方で、典型的な日本のソフトウェア開発会社は、受託開発の片手間に製品開発をやる。投資家とがっつり組まない。優秀なほど「何でもできます」と言ってしまうのです。これは経営者は安心かもしれないけど、デジタルコピーに基づくスケーラビリティというソフトウェア最大のメリットを捨てているのです。

では、3つの悟りによってインフォテリアが世界展開に成功したかというと、そうではありません。インフォテリアの海外への挑戦はすでに3回目なのです。

2000年にボストンに子会社を出して2002年に撤退。
2005年にシリコンバレーに子会社を出して2009年に撤退。
2012年にサンフランシスコの企業を買収してInfoteria Americaに改名。

現在のチャレンジはすでに3回目なのです。
未だに海外の売上は微々たるもので、この3回目が成功するかどうかはわかりません。 「3度目の正直」になるのか?
「2度あることは3度ある」になるのか?

しかし、3回目がうまく行かなくても、インフォテリアである限り、海外へのチャレンジを続けます。なぜなら、世界で通用するソフトウェアを開発して、世界で使ってもらうために創った会社だからです。

もちろん、実現は簡単ではありません。過去、多くの企業向けソフトウェア会社がトライしましたが、まだ成功した企業はありません。しかし、私は誰かが野球でいう「野茂英雄」になれると確信しています。そして野茂が出れば、野茂と同じようにその後に多くの企業が続くことを。

私は夢を持ち続けます。
「ソフトウェアを日本の輸出産業にする」という夢を。
I have a dream.