落語に感じるプレゼンの極意と「伝える力」

 ゴールデンウィーク中に、友人の三遊亭楽麻呂さんの独演会に行きました。
 私は、落語を聴くときに、娯楽としてだけでなく、ストーリーを多くの人に伝えるプレゼンテーションの一つの形態として研究してしまいます。職業病かもしれませんが(笑)
 最近は、プレゼンテーションブームと言ってもよいくらいプレゼンテーション本が出版されています。これは、『伝える』ことの重要性と『伝わる』ことの感受性でへの意識の高まりではないでしょうか。独立系ソフトウェア開発会社の集まりであるMIJSでも、4年前からプレゼンテーション合宿というものを実施していて、初回からずっと私が先生をさせてもらっています。

 このようにプレゼンテーションの先生もやり、プレゼンテーション歴も前職のころからかれこれ25年ほどになりますが、落語を聴くとまだまだ学ぶことが多いと感じます。

 落語では、一人で様々な役をこなしますが、演劇のように衣装を変えるでもなく、一般のプレゼンテーションのように画面を使うでもなく、座布団の上に座ったままで、小道具は扇子と手ぬぐい程度で、極めて高い「伝える力」があるのです。聴いている方は、引き込まれ、その情景が頭の中に映し出されます。

 楽麻呂さんの噺を聞く度に、気づきがあるのですが、今回の新たな気づきは「意図的な間投詞」。一般のプレゼンテーションでは、「えー」「あのー」といった間投詞は極力省くほうが聞きやすいのですが、人の台詞を話すことの多い落語では、あきらかに意図的に入れられていると感じる間投詞があります。

 プレゼンテーションで、間投詞を抜くべしと言う理由は、それは話し手のの都合、つまり話し手の癖だったり、話し手のリズムを取るためだったりして、聞きづらいことが多いためですが、今回聴いた落語の間投詞はどうも、聞き手の間を取る、リズムを作るためのもののように感じました。

 プレゼンテーションでも、間投詞を入れずに話すことができるようになったら、さらにその上の極意として、意図的な間投詞を使う技があるかもしれません。「伝える力」をさらに高めるべくもっと研究してみたくなりました(笑)