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50回目の誕生日

8月25日。私の誕生日、今回で50回目、つまり50歳になりました。

国内でTwitterやFacebookが流行始めてから、誕生日当日に数多くのお祝いメッセージをいただくようになりました。この歳になると1つ歳をとるというのも微妙ではありますが:)、やはりお祝いメッセージは嬉しいものです。

50年というと半世紀。確かに感慨深い物があります。今日があるのも、両親をはじめ、生まれたときからこれまでに繋がりのあった多くの方々のおかげです。あらためて感謝の気持ちがこみ上げてきます。本当にありがとうございます。

「人間50年」という言葉もあります。小さい頃は、50歳というと「おっさん」を過ぎて、「じいちゃん」の領域と感じていましたが、実際に自分がその年になってみると全くそういう気持ちも感覚はありません。それどころか、残りの人生の時間もいよいよはっきりしてきて、これまで以上にチャレンジしていきたいと、意欲漲る自分がいます。

残りの人生、どれだけ「べき」を減らし、「たい」に生きられるかのチャレンジです。「笑門来福」…これからも、日々笑顔を忘れず、はりきって生き抜きます。どうぞ、よろしくお願いします!

 

「ピースとハイライト」

今日は、終戦の日。

私は高校の頃から歌い続けている平和を願う反戦の歌が3曲あります。それは、中学の音楽の先生が教えてくれた歌。今考えると明らかに反戦活動家だった先生は、教科書は完全無視で、自分の作ったプリントの曲集で授業をしていました。そこにはギターのコードが振ってあったので、高校生になってギターを弾き始めたときに、そのプリント曲集を使って練習したのです。それ以来、今でもずっと、一人でギターを弾くときに口ずさんでしまうのが、その中の3曲。

私自身は戦争を経験していません。しかし、両親もその両親も戦争を経験し、その悲惨さは幾度となく聞きました。そして、世界のことを知るようになり、子供も生まれると、無関係の人々まで大量に殺戮する現代の戦争に対する反感と平和を願う気持ちは強まりました。

ところで、サザンオールスターズ復活第1弾として先週リリースされた曲が、「ピースとハイライト」。一見、煙草の歌かと思うタイトルですが、これは平和を願う反戦の歌。テレビCMで使われているサビの部分では、あまりわかりませんが、フルコーラスで聴くとよくわかります。

【「ピースとハイライト」一部抜粋 (C) Keisuke Kuwata】

♪都合のいい大義名分で 争いを仕掛けて
裸の王様が牛耳る世は 狂気
20世紀で 懲りたはずでしょう?

♪希望の苗を植えて行こうよ 地上に愛を育てようよ
この素晴らしい地球に生まれ 悲しい過去も愚かな行為も
人は何故に忘れてしまう?

私の4曲目に決定です。ギターを弾けなくなるまで、歌い続けて行きたい曲です。

落語に感じるプレゼンの極意と「伝える力」

 ゴールデンウィーク中に、友人の三遊亭楽麻呂さんの独演会に行きました。
 私は、落語を聴くときに、娯楽としてだけでなく、ストーリーを多くの人に伝えるプレゼンテーションの一つの形態として研究してしまいます。職業病かもしれませんが(笑)
 最近は、プレゼンテーションブームと言ってもよいくらいプレゼンテーション本が出版されています。これは、『伝える』ことの重要性と『伝わる』ことの感受性でへの意識の高まりではないでしょうか。独立系ソフトウェア開発会社の集まりであるMIJSでも、4年前からプレゼンテーション合宿というものを実施していて、初回からずっと私が先生をさせてもらっています。

凋落?跳躍!


 先日、Evernote社が主催し、TOYOTAなどが協賛するHackathonというイベントに審査員として参加しました。Hackathonとは、HackとMarathonを掛け合わせた造語で、ハッカーレベルのエンジニアが一同に集まって短時間でテーマに沿ったソフトウェアを開発しその出来を競い合うイベントです。
 エントリーは19チーム。制作時間は、実質丸1日しかありませんでしたが、本当にレベルの高い作品が多くて入賞作品の選定に困りました。審査員一同悩んだあげく、追加でゲスト審査員の古川さんと私がそれぞれ特別賞「Sam賞」と「Pina賞」を追加することにしたのです。

ギャル流行語大賞発表に思う言葉の価値


 今週、「ギャル流行語大賞」なるものが発表されて巷で話題を呼んでいます。私も眺めて見ましたが、残念ながら1つも知りませんでした。
 「テンアゲ」、「パティーン」、「とりあ」などなど、全然意味がわかりません(笑)。解説によると、それぞれ「テンションが上がっている」、「パターン」、「とりあえず、まあ」という意味だそうです。「ちゃんとした日本語があるのだから」という声も耳にしますが、そこには「ちゃんとした日本語」で置き換えられないニュアンスがあるのだろうと私は感じます。

いい女の会 × Handbook


 誰が言い始めたのか、11月7日は「いいおんな(1107)の日」なのだそうです。
 昨夜、つまり11月7日の夜、都内で「いい女の会」という会に招かれて講演を行ってきました。主催者は、私の高校の先輩でメディアでも有名な某女医先生。メンバーは、会社社長、大学教授、ジャーナリスト、料理家などなど多彩な面々。会場は、私以外は全て女性です(汗)。

なんと、もう10年も


 「今日は何を書こうかな?」と考え、昔のエントリを眺めていたら、私が最初にブログを書いたのは2002年9月4日だということに気がつきました。そう、来週9月4日で、私がブログを書き始めて10年も経つのです。

ハイリスク・ハイリターンのスイカとは?


 今週は旧盆、故郷に帰省した人も多いと思います。私の故郷は熊本ですが、熊本の夏といったらコレ!という名産物があります。それは「スイカ」。実は熊本県はスイカの生産量全国第1位なのです。

 私の実家はみかん農家で、ミカンの栽培を忘れないようにデコポンと早生温州のミカンの木をずっと以前からプランターで育てています。そこで、息子に熊本名産のスイカがどのように出来るのかを見せたくて5年前からプランター栽培に挑戦してきました。

言葉が自分を定義する


 ”The limits of my language mean the limits of my world” (人の言葉の限界が、その人の世界の限界である(平野超訳))と言ったのは、哲学者のウィトゲンシュタインで、私も大変共感しているのですが、最近はさらにそれを進めて「人の言葉が、その人自身を定義する」と感じます。

 言葉とは、そもそもその人の考えを言語化したものですが、言語として発することで、その考えを自ら肯定し、それを繰り返すことで、自らをまた定義してしまうと感じるのです。

方言プレゼンはいかが?


 仕事柄、人前でプレゼンテーションを行うことが多いのですが、最近特に気に入っていることがあります。それは「熊本弁プレゼン」です(笑)。つい先週も、「熊本県情報サービス産業協会」という会主催のいわゆる行政系の堅めのセミナーで、熊本弁プレゼンを炸裂させてきたばかりです(笑)。