「海外」と「世界」は違う

 米国時間10月25日、クラウド上で稼働する「ASTERIA」の英語圏開発者に向けてのトライアル提供を開始し、静かに「ASTERIA」の世界展開の新たなスタートを切りました。そして、26日からChicagoで開催されている、オープンソース開発者向けカンファレンス「SpringOne 2GX 2011」において、VMware社と共同でセッションを持ちその中で製品紹介を行うとともにブースを構えて開発者向けの説明を行っています。

インフォテリアは何故Steve Jobsの夢を追い続けるのか?

 Steve Jobsの訃報が伝えられて1週間。IT業界のみならず世界中で多くの人が、Jobsとの別れを惜しみました。インフォテリアでも、古くからのJobs信者であるCTOの北原をはじめ多くのメンバーがこの悲報に心を痛めました。そして、Steve Jobsが夢見たことに、これからも少しでも貢献して行こうと気持ちを新たにしています。

NIPPON IT チャリティ駅伝が開催されます

 秋分を過ぎ、気候はにわかに秋めいてきました。秋と言えば、「読書の秋」、「食欲の秋」、「スポーツの秋」、などさまざま言われますが、なかなか意識しないと出来ないのが「スポーツ」でしょうか。そんな中、この週末にIT企業が集まって行うスポーツ&チャリティのイベント「NIPPON ITチャリティ駅伝」が開催され、インフォテリアもプラチナスポンサーとして参加します。

インフォテリアで胎動を始めた「パンゲア」とは?

 インフォテリアで「パンゲア」が始まりました。はて?「パンゲア」とは何でしょう?「パンゲア」とは、地球上の大陸が全て繋がっていた時代の大陸の名前です。そしてその名を戴いたのは、インフォテリアで今月から始まったスタートアップ企業の支援プロジェクトです。

インフォテリア13回目の誕生日

 今日9月1日は、インフォテリアの13回目の誕生日です。インフォテリアが産声を上げたのは、1998年の今日。まだ残暑厳しく蝉の鳴き声が耳に付く日でした。当時の日本経済も、かなり厳しいものがありました。前年の11月には山一証券と拓銀が破綻していて、その影響で暑い夏にもかかわらず経済には冷たい風が吹き荒れていました。設立のときにも「何故こんなに景気の悪いときに始めるのか?」と何人の人にも言われました。

明日へのマーチ

 私の大好きな桑田佳祐の震災復興応援歌「明日へのマーチ」が昨日(8月17日)リリースされました。この曲は既に某社スマートフォンのCMでも流れていますので、サビ(♪想えば〜恋しや〜)を知っている人は多いと思いますが、この曲の一節にこういう詞があります。

♪芽生えよ 彼の地に
 命の火を 絶やさず

これからのベンチャー経営を語る熱い夏の講座

 3年前から、青山学院大学大学院で「技術系ベンチャー経営の戦略と実践」という講座を持って教えています。今期は、この講座を夏期集中4日間で凝縮して行うことになりました。そして今期は、4日間全て最終時限に第一線で活躍中の熱いゲスト講師をお迎えしての公開講座としますので、興味のある方の参加をお待ちしています。

テレワークは“日本の国力を上げる”か?

 先週の金曜日(7月15日)、大阪でインフォテリア主催の「ビジネススマートフォンカンファレンス2011 in OSAKA」を開催しました。

 そのカンファレンスのパネルディスカッションで、「テレワークが浸透すれば日本の国力が間違い無く上がる」と断言されたのが、基調講演を行っていただいた財部誠一さん。財部さんのポイントは、

人生初の中国語プレゼン


 一昨日(7月5日)、中国大連市のソフトウェア大手Neusoft(東軟)グループ企業との契約調印式を大連で行いました。具体的には、東軟信息学院の全学生14,000人でHandbookを使い、また、東軟教育服務有限公司で、中国全土に向けて販売を開始するための契約です。

 この調印式には、日中双方の記者の方々も同席いただき、私は、自己紹介、中国の皆さんの震災復興への支援の感謝、インフォテリアの会社説明、製品説明、今回の提携の意義、期待などについてプレゼンテーションを行いました。これまでは、中国でのプレゼンは、日本語か英語で行って通訳してもらっていたのですが、今回、生まれて初めて全編中国語で話しをしました。時間にしてトータル約4分半です。

東ヨーロッパはソフトウェアの梁山泊となるか?

 海外出張中です。今回は、5日間で4都市。パートナーシップを組んでいる会社や新たにパートナーシップを組もうとする会社との打ち合わせです。

 さて、今回の出張で改めて感じたことがあります。それは、日本ではあまり実感がないかもしれませんが、北米では、東ヨーロッパの人がCTOをやったり、開発チームが東ヨーロッパにあるというケースが珍しくなくなりつつあるということです。大会社のオフショアではなく、ごく小さい会社のメインの開発チームとして、新たなサービスをクリエイトする立場で業界の一角をなしてきていると感じます。